俺的三国志武力ランキングトップ10を発表するぜ!一騎打ちで強いのは果たして誰だ?

三国志の醍醐味、それは一騎打ちである。

ローマで剣闘士による戦いが盛んであった頃、中国では一騎打ちが盛んであった、というのは後年における創作で、さすがに戦の指揮官がガチで一騎打ちをすることは少なかった。

そりゃそうだ、指揮官が一騎打ちで負けたら指揮系統がメチャクチャになっちゃうよ(><)

という興ざめなことはさておいて、今回は俺的三国志武力ランキングを発表したいと思う。

今回の「武力」の定義は純粋に一騎打ち的な強さと文字通りの武力を演義と正史、両方の面から評価してみた。

演義ほど多くはないとはいえ、正史にも一騎打ちの記載はあって、それはもちろん加味するし、用兵術なども少しだけ評価したいと思う。

純粋に戦の巧さとかだと司馬懿とかが上位に入ってしまうしなぁ。

コーエーゲームで言うところの「武力」に少しだけ「統率」を加える感じかな。

コーエーの三国志シリーズだって当初は武力も統率も一緒だったわけだし。

な感じで結構適当な面もあるけれど俺的三国志武力ランキングトップ10を言ってみようか!

10位:趙雲

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100万の大軍の中をたった一騎で駆け抜けて、見事主君の跡取り阿斗を救い出したのが趙雲子龍その人だった訳だけど、後世の三国志ファンはこれを見て思う訳だ。

「余計なことしやがって!!」

趙雲が助けた阿斗こそがのちの蜀漢二代目皇帝劉禅な訳だけど、中国で嫌いな皇帝ランキング投票をしたら多分3位以内に入るんじゃないかってぐらい人気がない。そりゃそうだ。劉備とか孔明とかが必至こいて作った蜀という国の君主でありながら酒と宦官におぼれ続ける日々で、最終的にはあっさりと降伏して職を滅亡させてしまうんだからな。

趙雲が阿斗を救った後、劉備は阿斗を地面にたたきつけて「俺の大事な部下が死んだらどうするんだ!」と怒り趙雲はそれに涙したというエピソードがある訳だが、部下想いってより現代だと虐待だよね、それ。

主君である劉備は「子龍一身これ胆なり」と言って趙雲を褒め称えた(こいつぁ度胸の塊だぜぇ!という意味)にも拘わらず趙雲に関しては順位が低すぎると思う人がいるかも知れないけれど、演義での活躍とは裏腹に正史での活躍はそこまでない。阿斗を救い出したのは正史にも記載があることだけれど、戦功らしい戦功もなく5虎将軍の中では最も格下であったようだ。実績だけなら魏延よりも下とする見解もある。実際魏の曹真に負けて降格させられたエピソードさえあるぐらいだ。

演義ファンとしては悲しいけれど、それでも劉備軍にあっては欠かせない人物であったのは確かだっただろう。

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9位:馬超

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蜀の5虎将軍にして左将軍。漢王室に忠義を誓い朝敵曹操の暗殺をもくろむも失敗し一族郎党を皆殺しにされた馬騰の息子馬超は、その威容から「神威将軍」「錦馬超」のあだ名がつけられるほど派手なイケメンで、白銀の鎧を着て父の仇を討つべく曹操陣営に攻め込むのであった。

快進撃を続ける馬超はあと一歩のところまで曹操を追い詰めるが、常に曹操の傍らにいる親衛隊長の許褚が止めに入る。2人は一昼夜一騎うちを行うが決着はつかず、馬超はその後軍師賈詡の離間の計により身内の裏切りに合い撤退を余儀なくされる。

その後は五斗米道という道教の教祖張魯のもとに身を寄せ、攻めてきた劉備軍との戦いに臨むことになる。

武勇で知られた張飛との一騎打ちの末決着がつかず、張魯の部下の楊松の讒言のせいなのか男の友情が芽生えたのか劉備の陣営に招かれその後は蜀漢の建国と共に左将軍に任命される。

・・・というのはほぼ演義の創作である。

正史の馬超はなかなかにやんちゃな奴で、粗野で凶暴な人間であったらしい。

演義で描かれているほどは強くなく、若いころに韓遂軍の閻行という武将にボコボコにされて死にかけているぐらいである。閻行って強いの?という感じだが北方騎馬民族である羌族にビビリまくって逃げようとした人物である。曹操の部下になったようだが重用された事実もないので大した人物でもなかったのだろう。

演義だと馬騰が死んだから復讐を考えている描写になっているが、実際には馬超が曹操に攻め入ったので都にいた馬騰などの一族が処刑されている。

張飛や許褚との一騎打ちなどは正史に記載はない。

馬超は降伏した敵将の一族を皆殺しにしたり子供を人質に降伏を勧め、断られると子供を殺すなど慈悲の欠片もない人物であったようで、曹操を追い詰めたという事実もない。

実際には会談の場で曹操を暗殺しようと試みたが許褚がいたためそれを実行できなかったという記述があるのみである。

演義から入って正史を読むとがっかりすることが多いが、馬超はその最たる例だといえるであろう。

8位:許褚

 許褚は将軍ではなく曹操の親衛隊の隊長という立場だったようだ。

なのでコーエー風に言うと武力は高いが統率は低いことになる。ゲーム上はかなり使いにくいキャラクターだろうな。

曹操は許褚にあった時に「わが樊噲である」と喜んだそうだ。樊噲というのは漢文の教科書にも載っている「鴻門之会」で漢の高祖の命を助けた人物で、武勇に優れていた。

山のような人数が曹操暗殺を企てたけれど、結局許褚が怖くて誰も実行できなかったという記述があるほどの人物で、曹操の信頼は厚く寝室に帯刀したまま入れる唯一の人物であったらしい。

三国志演義では馬超や張飛との一騎打ちにおいて互角の戦いを見せているが、正史では馬超は許褚ににらまれてビビった描写があるだけである。

許褚は馬超よりも上の順位に置くのが妥当だろう。

7位:太史慈

 太史慈は正史において一騎打ちの記録のある数少ない武将である。

脳筋のイメージがあるかも知れないがかなりの知性派で、若いころは勉学に励んだらしい。黄巾族との闘いでは毎日弓を的に当てる訓練を賊の前で行い、賊が油断したころ合いを見計らって救援を呼ぶようなこともしている。

太史慈自体は弓の名手でもあったがかなり腕に自信があったらしくあるとき敵将に一騎打ちを申し込んだことがある。この時の相手こそが後に小覇王と呼ばれる孫策その人である。

孫策と戦って生きていられた、この1点を以て太史慈がどれだけ強かったかわかる。

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6位:孫策

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三国志は3つの国が中国を3分割した時代のことである。そのうちの1国呉の基礎を作ったのは孫策に他ならない。

血気盛んな孫策はひたすらに強かった。当時江東にいた勢力を一網打尽にすると独立した国を作ってしまうほどで、その様は項羽の再来「小覇王」であると称された。

そもそもの兵力はたったの1000であったというから如何に孫策が強かったかわかるというものだろう。

正史において一騎打ちの記述のある数少ない人物であり、演義でも正史でも抜群の武力を誇る武将だと言える。 

孫策がもう少し長生きしていたら、歴史は大きく変わったかも知れない。

三国志の作者陳寿は孫策をこう評している。

「孫策は傑出した英気を具え、その勇猛さと鋭敏さは並ぶ者がないほどであり、優れた人物を登用して用い、志は中国全土を圧倒するほどだった。しかし、孫策は軽はずみでせっかちな性格だったので、身を滅ぼしてしまった」

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5位:典韋

 典韋もまた武将と言うより曹操の親衛隊と言った方がよいかも知れない。ほぼずっと曹操の傍らにいて家に帰ることはほとんどなかったようだ。

曹操が張繍の奇襲を受けると典韋は自ら壁となって曹操を逃がすことに成功する。その際張繍の手勢20人を切り殺し、刃がダメになると素手でも7,8人倒したというのだからその武勇は計り知れない。

そもそもが虎を追っているところを後の魏の大将軍になる夏侯惇に見いだされたというのだから驚きである。曹操は典韋を見て「我が悪来を得たり!」と言って喜んだというから相当気に入ったのだろう(この部分は演義ベース)。

後に典韋の死を悼んで行軍中にも関わらず弔いをしたという記録も残っていて、後に曹家は身分が低いにも関わらず典韋を功臣20人に選出しているほどである。

4位:孫堅

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演義ベースだと馬超や趙雲などの蜀の武将の評価は底上げされているのだが、そのあおりを食らっているのが呉の武将。

そしてそんな呉の武将の中でも最強なのが堅パパこと孫堅だろう。

孫堅は若い時に海賊退治で名をあげ、たった1人で海賊船の海賊を皆殺しにしてしまったというエピソードもある。

演義では関羽が倒したことになっている華雄も実際には孫堅が倒したし、黄巾族との闘いでも連戦連勝だった。

若いころ馬超をボコボコにした韓遂の軍も自ら指揮官ではなかったが意図の簡単に撃破している。

実際のところ孫堅は連戦連勝で、一時期曹操と共に徐栄には敗北したが袁術の支援もありすぐに体制を立て直し、董卓側は孫堅の懐柔を計るがこれが拒否されると洛陽を焼き長安に遷都したという話もあるぐらいとにかく強かった。

だが、劉表との闘いで黄祖を打ち破ったのち、その部下がはなった矢傷がもとで死んでしまう。

孫堅も孫策も血気が盛ん過ぎて早死にしてしまった感がある。

3位:張飛

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 説明不要の武力自慢!張飛から武力をとったら何が残るのか?

三国志と言えば3兄弟の物語。3兄弟の中で一番人気があるのは張飛に違いない。

その背丈は2mを超え、虎のような髭をたくわえ声は雷のようであったという。

劉備が旗揚げした時から彼に付き従い、董卓との闘い、曹操との闘い、劉章との闘い、漢中争奪戦と劉備の行くところにならどこへでも付いていった。

粗暴だがどこか憎めない張飛の性格は広く愛され、1800年の時を経た現代日本でも大人気である。

最終的には蜀漢の右将軍の地位に就いたが部下によって殺されてしまった。

彼の演義での見せ場はやはり「長坂橋の仁王立ち」であろう。曹操軍100万人の前にたった1人立った張飛は一言「我張翼徳」と大喝。その威容を恐れて誰一人動けなかったという。

これは創作かと思えば実際にあった話のようで、このおかげで劉備は逃げ延びることができたという。

その後は名将厳顔や魏の5将軍でもある張郃を破る活躍を見せ、漢中の争奪に大いに貢献した。

演義では袁術配下の将軍紀霊を一騎打ちで破り 許褚や馬超とも互角に戦った。

関羽は常々「武勇に関しては張飛が上」と語っていたという。

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2位:関羽

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三国志の登場人物で、神様になったのは関羽だけ!

赤兎馬にのり青龍偃月刀を持って戦場を駆け抜けるさまは敵軍にとって恐怖でしかなかったであろう。

華雄を破り、文醜・顔良を破り、5つの関門を破り、于禁や曹仁を破り、名将龐徳を切り殺し、死後は自らを殺した呂蒙を呪い殺すことに成功したことになっている。曹操も関羽にたたられて死んでいったことになっているし、ここまでくるとオカルトである。

正史においては文醜と顔良を倒したことが記載されており、劉備が益州に攻め入る時には最重要地域である荊州の守りを任される。

残念ながら荊州を守り切ることはできず、関羽の死をもって三国志の物語は急速に光を失っていくことになる。

その強さはもちろんだが、大変華のある武将で、彼無くしては三国志は語れないであろう。

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1位:呂布

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 これは誰が何をどうやっても呂布が1位になる。

派手な人間の多い三国志の中でもひときわド派手なのが呂布で、真っ赤な馬である赤兎馬に載り、方天画戟を自在に操り「馬中の赤兎、人中の呂布」と言われ、大体のゲームでは武力がMAXとなっており、劉備・関羽・張飛の3人がかりでも倒せず、権勢を誇った董卓をついには殺してしまう。

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呂布と董卓の仲たがいの様子は以下の記事を見てくれると嬉しい。

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 劉備と袁術の仲たがいを収めるために地面に戟をうち、100歩離れたところから弓矢を放って一発であてるという逸話があるのだが、フィクションかと思いきやノンフィクションであった!

三国志中には数少ない一騎打ちの記録のある人物であり、当時からその剛勇は知られていたようである。

三国志におけるトリックスター的な役割を担っており、登場時に義父である丁原を裏切り、次に董卓を裏切った呂布だったが、最後は部下の裏切りに合い曹操と劉備によって滅ぼされてしまうのであった。

呂布は弓の名手であり、石虎将軍としても知られる漢の李広に比せられて飛将のあだ名をつけられている。

英雄には違いないだろうが、武将としてはすぐに裏切るので使いにくく、君主としては粗暴すぎて部下が付いてこない。

じつに困った奴でもあるんだよなぁ。。。

結構いろんな人が三国志の武力トップ10を記事にしているのでそのリンクも貼っておこうと思う。

人のこういう記事を見るのも面白い。

www.daremomiteinai.com

sangokushirs.com