「クレオパトラの鼻があと3cm低かったら歴史は大きく変わっていただろう」
これは二項定理などで有名なフランスの哲学者パスカルの言葉であるが、鼻の高さはともかくクレオパトラが世界の歴史を大きく変えたことは確かであろう。
クレオパトラの名前で有名な彼女の本名はクレオパトラ7世フォロバトル。
プトレマイオス朝エジプト最後の女王にして3000年続いたエジプト王朝に終止符を打った人物でもある。
今回はそんなクレオパトラについて見て行こう。
あまりにも濃い王族の血
クレオパトラの生まれたプトレマイオス王朝はギリシャ人の血筋であるが、エジプトを治めるにあたり自らを神とする必要があった。
エジプトの王を表すファラオは神の化身である。
これはエジプトを治めるために絶対的に必要な条件で、プトレマイオス王朝は王族の血と人間の血を混じりあわせる訳にはいかなかった。そのために出した結論は兄弟婚である。
クレオパトラの例を見ると、彼女の父と母は兄妹であり、クレオパトラ自身も最初は弟であるプトレマイオス13世と結婚をし、共同統治という形で女王に君臨していた。
競馬の世界ではインブリードという考え方があるが、クレオパトラのそれは血が濃すぎた。血が濃すぎると極端な虚弱体質か極端な天才が生まれるというが彼女は後者に属したのだろうか?
クレオパトラはギリシャ語やエジプト語、ラテン語にシリア、パルティア、ヘブライなどかなりの数の言語に精通していたようで、声も透き通るような声であり、実はパスカルの言うような美人ではなかったという説もある。
現代日本でもモテる女性が必ずしも美人という訳でないように、彼女は人を魅了する話術の持ち主であったという説も昔から根強い。
エジプト王家の内乱
プトレマイオス朝も他のオリエント的王朝と同じように激しい王権争奪戦が常に繰り広げられていた。
そこに介入してきたのがポンペイウスで、先王であったプトレマイオス12世を王位に据えることに成功した。ローマの統治方法は親ローマ派の王を据えることで同盟国として存続させるというものが主であった。
エジプトに関してはこの頃はローマの同盟国となっており、ローマ人も多数住んでいたと言われている。
なお、そのころにアントニウスはエジプトに赴任しており、クレオパトラの姿に魅了されてしまったという説もある。
どちらにしてもクレオパトラが18歳の時に父王であるプトレイマイオス12世が死に、弟王プトレマイオス13世との共同統治が始まった。
残念ながら王と女王の折り合いは悪く、互いに主導権を握りあう争いとなり、クレオパトラは失脚してしまった。
権力欲の非常に強いクレオパトラは、ローマの手を借りて父のように王位に復権することを考える。
当初はローマ史上最強の将軍であるポンペイウスに白羽の矢を立てていたが、ファルサロスでカエサルに敗れると、カエサルに取り入ることを考え始める。
エリザベス・テイラーが主演した大作映画「クレオパトラ」での有名なシーンではクレオパトラ自身が絨毯にくるまりカエサルに贈り物として届けられる。
ハゲでスケベが綽名のカエサルはクレオパトラが気に入りすぐに愛人にするとクレオパトラと共にプトレマイオス13世をナイルの戦いにて打倒し、別の弟を共同統治者に据える。
2人の間にはカエサリオンという名の息子が生まれたが、カエサルはカシウスやブルータスと言った連中に暗殺されてしまう。
カエサルは生前遺言状を遺しており、そこにはカエサリオンの名もクレオパトラの名もなかった。クレオパトラは我が子を連れてエジプトに帰り、虎視眈々と権力の座を狙うのだった。
アントニウスを魅惑し骨抜きにする
カエサルの後継者には生前右腕と言われたアントニウスの名はなかった。代わりに名前があったのはわずか18歳のオクタヴィアヌスの名であった。
アントニウスにはそれが不服で、なんとかオクタヴィアヌスを亡き者にしようとしていたが、カエサルの遺言状は協力だった。
アントニウスがどのようにクレオパトラに魅了されたかはわからないが、クレオパトラはアントニウスを骨抜きにし利用し始める。
アントニウスは妻であったオクタヴィアヌスの姉オクタヴィアと離婚するとクレオパトラと婚姻し、制覇したアルメニアやシリア、そのほかオリエントの地をクレオパトラに与えてしまったあげくに凱旋式をローマではなくエジプトの王都アレキサンドリアで行うという暴挙に出る。
クレオパトラやアントニウスからすれば文明レベルの高いエジプト中心の政治を行うという公示であったのだろうが、これが全ローマ市民からの反感を買ったのは言うまでもない。
ローマの正規兵は皆ローマ市民権を持ったものである。
それゆえに愛国心や防衛への意識が高く、訓練も良くされた精鋭であり、これが強さの源であった。
反面オリエントでは金で雇った傭兵が中心であり、質は低く、いざとなれば逃げだす。
アントニウスが連れてきたローマ兵はアントニウスに呆れ、日々脱走が相次いでいた。
アントニウスの兵は元々はカエサルの兵だったものが多く、カエサルの正当な後継者であるオクタヴィアヌスに流れるのは仕方がないことであろう。
もし自分がローマ兵だったらやっぱりアントニウスの許になんかいたくないと思う。
アクティウム海戦
カエサルは見抜いていたのだろう。オクタヴィアヌスの優秀さとアントニウスの器の小ささを。
だがアントニウスは自らの小ささを受け止められなかった。
兵力を含めた軍力であればアントニウスとクレオパトラの方が上だった。クレオパトラはエジプトの富を雇い傭兵を大量に雇い入れた。軍船も大量に作った。
しかし、所詮は金でやとった質の悪い兵士と技術的に優れたただの入れ物である。
オクタヴィアヌスに戦闘の才能はなくとも、アグリッパの能力は足りなくとも、そもそも兵士の質が違う。
クレオパトラはこともあろうに戦場から逃げ出した。さらにあり得ないことにアントニウスもクレオパトラを追って戦場から離脱した。
指揮官が兵を遺して戦場を離脱することなどありえないことだ。歴史上にもほとんど例がない。
兵士たちは降伏し、アクティウム海戦は終戦、ローマの新たな指導者はオクタヴィアヌスとなった。
クレオパトラの最期
エジプトに帰ったクレオパトラはアントニウスに自分が死んだという誤報を届ける。最愛の人物が死んだと思い込んだアントニウスは自らの命を絶った。
クレオパトラは勝者であるオクタヴィアヌスにすり寄ったが、オクタヴィアヌスはそれを拒否、もはやこれまでと悟ったクレオパトラは毒蛇に自らをかませ、39年の生涯を終えた。
初代ローマ帝国皇帝となったオクタヴィアヌスはクレオパトラの子であるカエサリオンを処刑し、アントニウスとクレオパトラの子供たちは姉の許へ送る。アントニウスの元妻であるオクタヴィアはクレオパトラの子供たちにも分け隔てなく接し育てたという。
エジプトはローマ帝国に編入され、ローマ皇帝の直轄領となり、メネス王以降3000年も続いたエジプト王朝はここに終わりを迎えた。
クレオパトラは語学に堪能で話術に長けていたというが、権力欲にまみれ、男たちを翻弄しようとして結局は自分の首を絞めた。
最後は戦場から逃げ出すという最もやってはいけないことをしてしまった彼女を、俺は賢いとは思わない。
語学偏重の評価はやがて衰退を招く。
日本と言う国は語学ばかりを教育で重要視した結果、あらゆる意味で衰退を招いてしまい、今では再起不能なレベルにまで落ちてしまっている。
クレオパトラ同様、落ちて行っていることに気づかず、気づいた時にはもう取り返しがつかなくなるだろう。
クレオパトラは結局、悪手を取り続けた。アントニウスと組んでオクタヴィアヌスに敵対するという最悪の手段をとったことで、プトレマイオス王朝はもちろん、数千年の歴史を持つエジプト文明を終わりへと導いてしまったのだ。
果たして彼女は本当に有能だと言えるのだろうか?
彼女が愛していたのは結局、権力だけだったような気がする。