きれいなバラには棘があるというけれども、その美しい容姿の裏に猛毒を抱え込んだ女性がいる。
彼女らは悪女と言われしばしば歴史の表舞台に現れては大暴れをするわけだが、恐ろしさの中にもどこか魅力を感じる人物ばかり。そこで今回はそんな世界史に名が残るような悪女たちの伝説をまとめてみたいと思う。
ちなみにこの前文は記事が書き終わってから書いている訳だが、書いた感想としてはこんな感じになっているかなと思う。
50位~35位:悪女と言ってもねぇ、誰でもそういう部分はあるからねぇ、そうでもないような気がするねぇ
34位~25位:うん、これは悪女だね
24位~8位:ヤバイ、背筋が凍るレベルだ…
7位~1位:規模が違い過ぎて現実感がない。段々感覚がマヒしてくる
特に後半はどこか遠くで起こったのことのように感じてくるし、自分の中の常識も段々と亡くなってくるのだけれど、恐ろしいことにこの記事に記載されていることは全て現実に起こったことで、 わりと心臓に悪い描写などもあるので閲覧する際はご注意ください。
一応ブログの性質上一部のシリアルキラーは除いた。興味がある人はベラ・レンツィなどで調べてみると良いかも知れない。とはいえ上位は完全にそんなシリアルキラーを遥かに超えているような気もするが…
ちなみに男性篇はこちら。
第50位:悪女だけどどこか憎めないマリーアントワネット
「悪女」というとまず最初にマリー・アントワネットを思い浮かべる人も多いかも知れない。
飢えてパンを求めるパリ市民を見て「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言い放ったことはあまりにも有名で(有名だがマリーが言ったという公式の記録はない)、フランス革命で国王一家が処刑されるようになったのもほぼこの人のせいだと言える。
元々ルイ16世は改革派として人気があって、フランス国内の王侯貴族が次々と逃げ出していったのに「国民を王が見捨てる訳にはいかない」と言って残っており、革命派の人物たちからも人気は高かったのだが、「ヴァレンヌ逃亡事件」がきっかけで国王は処刑されてしまった上にフランス革命が過激化してしまうことになる。
ルイ16世は逃げる気などなかったのだが、マリーがどうしても逃げたいというので付き合ったら家族と自分の命まで失ってしまうという悲劇ぶり。しかもその手引きをしたのがマリーの愛人であったフェルセンのせいであったのだから目も当てられない。
それでもルイ16世は悲しいほどマリー・アントワネットを愛していて、国王なのに愛人も作らず(ルイ14世、ルイ15世には星の数ほど)、マリーの言うことなら何でも聞いてしまっていて、それが彼女のわがままぶりとフランス革命に拍車をかけることになってしまった。
そういった意味である意味悪女中の悪女なんだけど、マリーも最後の最期でルイ16世への愛に気づいたり、処刑台に立っても毅然とした態度を崩さなかったり、どこか憎めないところも多くて、個人的にはどうしても嫌いになり切れないんだよなぁ。
第49位:悪名高き人気者ボニー・バーカー
名作映画「俺たちに明日はない(原題:Bonnie and Clyde)のモデルになった女性。
星の数ほどの強盗と殺人を繰り返したのだが、新聞を始め彼女らの擁護者は非常に多く、2人をかばって起訴された人たちが20人を越えたという。
日本で言うとネズミ小僧や石川五右衛門のようないわゆる「義賊的な性格」を持っていて、貧しい者からは盗まない、狙うのは悪徳な金持ちだけという姿勢が当代および後代から人気を得た理由なのだろう。ボニーはウェイトレスとして暮らしていた時代から貧しい者からはお金をとらずによく奢りにしていたという。
なんか悪女じゃない感じもするけれど、やっぱり殺人も強盗も悪いことだよねってことでランキング入り。
「明日に向かって撃て」といい「俺たちに明日はない」といい、アウトローをモデルにした映画ってどうしてこうも魅力的なのだろうか。
第48位:悪妻の代名詞クサンティッペ
高名な哲学者ソクラテスの奥さん。
世界で「悪妻」と言えばクサンティッペを指すと言っても良いほど有名で、ソクラテスは「もし良き妻を得たら君は幸せになれるだろう、でもそうでなかったとしても悲しむことはない、なぜなら哲学者になれるからね」と言っている。
クサンティッペの悪女エピソードとしては思索に耽るソクラテスに水をかけたエピソードがあるのだが、多分何度話しかけてもソクラテスが返事をしなかったからじゃないかと思う…
ソクラテスは刑事コロンボ並みに奥さんのことをネタにする人だったようで、「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから」など頻繁に奥さんをネタにしていたらしい。
ある時弟子がソクラテスに「なぜそんな奥さんと別れないのですか?」と聞いたところ「あの人と一緒にいられるなら誰とでも一緒にいられるからね」と答えたというのだが、むしろ一日中働きもしないで思索に耽ったり弟子との問答に終始したりするソクラテスと一緒にいられたのだからクサンティッペは割と良妻なのではないだろうか。
実際ソクラテスがアテネから死刑を受け渡された際にはクサンティッペは大変嘆き悲しんだという。
…まぁ、正直全然悪女じゃないし、ソクラテスは奥さんのこと愛していたんだろうな。
ちなみにクサンティッペについての動画を作った。こちらのチャンネルはより歴史に特化しているから、是非チャンネル登録してくれよな!
第47位:子を思うが故に…アレクサンドラ・フョードロヴナ
ロシア最後の皇后。
自分でいれておいて彼女を悪女とするのは少し可哀そうかも知れない。
彼女の悲劇は子供が血友病を患って生まれたことに始まった。
現在でも治療困難なこの病気に対処できる人間など20世紀初頭には存在していなかった。つまり愛する息子を助ける術はなかった。それでもアレクサンドラは方々手を尽くし、怪しげな力を使う怪僧ラスプーチンに出会う。
弱みに付け込まれた彼女はラスプーチンに洗脳されてしまい、彼の言うことなら何でも聞くようになってしまった彼女はついには帝国の人事にまで干渉するようになり、ラスプーチンの息のかかった人物を要職に据えるようになってしまう。
当時は第一次大戦中でもありロシアは大変な混乱に陥り、意を決した反ラスプーチン派の皇族たちはクーデターによりラスプーチンを殺害するにいたる。
しかしもはや限界に達していた民衆はラスプーチンが死んでも皇帝一家を赦すことが出来ず、ついにはロシア革命が起こりアレクサンドラは家族と共にシベリア送りにされ家族ともども処刑されてしまう。
確かに悪女としての側面もあり国を大いに混乱させたのだが、彼女は娘たちと共に看護について学び多くの負傷兵を看護するなど人道的な面も強く、小さな子供たちにはよく絵本を読み聞かせていたという。
第46位:尼将軍北条政子
日本三大悪女の1人。
ご存知源頼朝の奥さんであり、その死後は政治の実権を握り「尼将軍」と呼ばれた人物。
平清盛によって伊豆に流された源頼朝を見出し共に平氏を打倒、頼朝との間に2児をもうける。
これの何が凄いって北条政子も平氏の出身で、いわば平清盛の親戚だったわけで、清盛も親戚なら大丈夫だろうと思って仇である源氏の嫡男を預けたら平氏が滅ぼされてしまったでござるという大変な目に、何を言っているのかわからねぇと思うが本当に起きたことなんだ。
政子はかなり嫉妬深かったようで、頼朝が浮気した際には浮気相手の家を部下に命じて徹底的に破壊するという行動にでる。頼朝もこれに怒って実行犯である牧宗親(まきむねちか)の髷を切ると政子はその浮気相手を養っていた伏見広綱という人物を流罪に。もはや頼朝は謝るより他なかったという。
女性の嫉妬ってその浮気相手に向かうんだよなぁ…
個人的には北条政子は悪女ってほどではないと思うんだけど、頼朝の子や孫が全滅した後も政治の実権を握っていて、その後を弟や父親たち北条氏が日本という国の政治を握り、以降北条氏が政治の実権を握ったことから財産目当てで結婚したみたいなイメージがついてしまったんだろうなぁと思う。
でもまぁ、悪女じゃないにしてもかなり怖いわなぁ…
第45位:イギリス人から嫌われたエンプレス・マチルダ
イギリス最初の女王は誰かご存知だろうか?
イギリスと言えば現在の国歌が「ゴッドセイブザクイーン」となっているように女王陛下の国というイメージがあって、現在のエリザベス2世女王、ヴィクトリア女王、エリザベス1世女王と女王のイメージが強いのだが、実はエリザベス女王が即位するまではイギリスは大の女王嫌いの国だったのだ。そしてのその原因を作ったのがエンプレス・マチルダと呼ばれる人物。
エンプレスは日本語にしたら皇妃を表す言葉で、その名将通りドイツの神聖ローマ皇帝の妃でもあった女性で、夫が死ぬとフランス貴族アンジュー伯と再婚し、父のヘンリー1世(イングランド王)が死ぬと自らのイングランド王位継承権を主張して大戦争を起こしてイギリスの土地を荒廃させてしまった。
これによって女王が即位するとイングランドは衰退するという定説が唱えられるようになり、以降イングランドは400年近く女王が誕生しない国となってしまったのだった。
その衰退ぶりがあまりにもひどかったためかイギリス人からはものすごく嫌われていて、未だに「エンプレス」の名がつけられるのはマチルダを女王として認めたくないという思いからであるという。
ちなみにマグナカルタをつきつけられた失地王ジョンやSMAPの歌で有名になった獅子心王リチャード(リチャート。ザ・ライオンハート)の祖母でもある。
第44位:聖なる悪女エバ・ペロン
マドンナが主演した「エビータ」で世界的に有名になったアルゼンチンの聖なる悪女。
アルゼンチン大統領ペロンの妻で、アルゼンチンでは大変な人気のためマドンナがエビータを演じると発表されるやイメージが違うといって抗議デモが起こるぐらいだった。
私生児として生まれたもののその美貌によってファーストレディーまで成り上がったリアルシンデレラで、特に女性を中心に大変人気があるのだが、反対派を容赦なく弾圧したことでも有名で、自身が貧困層出身であるからか貧しき者のための支援施設を建てたり労働者階級のための政治を行うなど聖女的な面も持ち合わせたが、自分の悪口を言った新聞社を潰したり夫のペロンと共謀して税金を懐に入れたりとしっかりと悪女している。
良くも悪くも独裁的で、自叙伝である「エビータ」が学校での教科書として採用されるなど絶頂を極めたが、1952年ガンによってわずか33歳という若さで亡くなってしまう。その死にアルゼンチンの人々は大いに悲しんだという。
聖女でもあり悪女でもあるという不思議な女性だった。
第43位:実質的な大帝国の建国者独孤伽羅(ドッコカラ)
ほぼ10割の人が誰だそれ状態だと思うけれど、隋の建国者楊堅(隋の文帝)の妻にして煬帝の母親であった人物。
北周の有力者であった独孤信という人物の娘で、楊堅が北周で力を握ることが出来たのもこの奥さんのおかげ。そのせいか楊堅はこの妻にまるで頭が上がらなかったようで、皇帝に成った後でも楊堅は後宮を立てることも側室をおくことも出来なかった。
それでも悲しい男の性か楊堅はある時浮気してそれがバレてしまう。怒り狂った独孤伽羅はその浮気相手を殺害、それを知った楊堅は山の中に走って行って「朕は皇帝になったのに自由はないのか」と言って大泣きしたという。
北周という国は元々騎馬民族である鮮卑族が建国した国で、独孤伽羅自身も馬術の名手として名が知られており、どんな荒馬も彼女を乗せると大人しくなったという。
兎に角嫉妬深い女性で、自分の産んだ長男の女癖の悪さを知ると怒り狂って跡取りには次男であった煬帝に決めてしまう。その結果隋が滅びてしまうのだからなんともはや…
とはいえ彼女の政治家としての手腕は中国史でもトップクラスで、楊堅と共に「二聖」と呼ばれていたという。
ちなみに唐の建国者李淵はこの独孤伽羅の姉の子供であったりもする。
第42位:英雄の愛した女性ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
ナポレオンが最も愛した女性。
皇帝となったナポレオンは死ぬ前に「ジョゼフィーヌ…」と言って前妻の名前を呟いて死んだという。
この人は悪女ってほどではないが、とにかく浮気癖が酷く、ナポレオンが遠征に行っている間に浮気しまくっていた。
ナポレオンと結婚する前のジョゼフィーヌは総裁政府5人の総裁の1人バラスという人物の愛人で、当時頭角を現しつつあったナポレオンに対しジョゼフィーヌに飽きたバラスが彼女を押し付けたという話さえ残っている。
それを知ってか知らでかナポレオンはジョゼフィーヌに首ったけで、戦地に赴くとひたすらジョゼフィーヌに恋文を送っていた。彼女はそれを見ると女友達と一緒に読み上げてはせせら笑っていたという。
ある日ナポレオンがエジプト遠征に行っている最中、ジョゼフィーヌの浮気を知って嘆き悲しみの手紙をフランスにいる彼女に送った時にはその手紙を乗せた船がイギリス船に拿捕されてその手紙の内容が公表されるという悲劇なのか喜劇なのかわからない事件が起こっていたりもする。
悪女は悪女なんだけど、ナポレオンが出世できたのはジョゼフィーヌが持つ広汎な人脈があってのことだし、彼女は彼女なりにナポレオンを愛していたし、なんというか、フランス革命中の女性たちって色々憎めないんだよなぁ。
第41位:狂女フアナ
彼女を「悪女」に列するのは少々可哀そうかも知れない。
「狂女フアナ」という名で呼ばれており、ヨーロッパ最強貴族ハプスブルク家の嫡子で希代の美男子でもあった端麗公フィリップと結婚したまでは良かったのだが、イケメンであるフィリップは浮気癖が酷く、彼女が夫の浮気を責めれば責めるほど気持ちは遠ざかっていくようになってしまう。
金持ち、王子、イケメンと3拍子揃った相手と結婚したのにね。
敬虔なカトリックのクリスチャンであり、生来生真面目な性格であったフアナは夫が浮気すればするほど精神を病んでいってしまい、さらに彼女の複雑な生まれがそれを加速させることになる。
彼女はコロンブスの援助をしたことでも有名な初代スペイン女王イサベラの娘であり、元々は王家を継ぐ地位にはいなかったが彼女の兄のフアンが夭折し、その妻も死産、さらに姉のイサベルも死に、その子供も死んだことからスペインの王位継承権がフアナへと移った。これによって夫と共にオランダからスペインに移り住もうとしたわけだが、フアナの精神は既に異常をきたしてしまっており、また夫のフィリップもスペインの土地が合わなかったようでフアナを罵るだけ罵ってさっさとオランダに帰ってしまう。これを見たスペイン王は激怒しフアンに王位を継承させたのちには摂政をつけると遺言、実際その通りになると今度は夫が激怒する。
そうこうしているうちに夫フィリップが亡くなってしまい、フアナの中にかろうじてあった正気が完全に崩壊、夫の死を受け入れられなかったのかフアナはフィリップの棺と共にあてのない旅に出た。
やがてその様をみかねた父に幽閉されるも、以降の40年間死去するまでスペイン女王の地位にあり続けたという。
ちなみに彼女の息子が神聖ローマ皇帝となったカール5世であり、その息子がフェリペ2世で、「フィリピン」という国の名前はこのフェリペ2世の名前からとられている。
なんというか、自分でランクインさせておいて彼女を悪女とするのはかわいそうだよなぁ(じゃあ載せるなよ)。
第40位:売国奴を作り出した陳円円
1644年、李自成の乱によって明は滅んだ訳だが、明軍の大半はまだ呉三桂という将軍の指揮下に残っており、北方の女真族との戦いをまだ継続中であった。しかし呉三桂はある報告を聞くや女真族に降伏し、以降は女真族が立てた国である清の手足となって漢民族達の反抗を鎮圧していくことになる。
その「ある報告」というのが、愛妾の陳円円が劉宗敏という人物に捕まったというものであったと言われている。
そのため呉三桂は女一人のために国を売った売国奴として罵られ、街中では「円円曲」と呼ばれる歌が流行ったという。
第39位:王冠をつけた娼婦女帝エカテリーナ
啓蒙絶対君主として有名なエカテリーナ女帝ことエカテリーナ2世であるが、後に彼女の性的奔放ぶりを知った子孫から「この〇〇が!」と言われたぐらい愛人を多く抱えていた。生涯においてその数は300人を越えたとさえ言われており、戦艦ポチョムキンの由来ともなったポチョムキン侯爵をはじめ多くの王侯貴族と関係を結んだ。
そのためエカテリーナは「王冠をつけた娼婦」「夫殺しの王位簒奪者」などのあだ名で呼ばれることもある。
とはいえロシア史上最長期間在位していたりロシアという国家を大いに反映させたりと名君的な要素も強く、悪女的な要素は非常に低いと言えるのでこの順位。
第38位:美しき女スパイマタ・ハリ
第一次大戦中に活躍した有名な女スパイで、フランスで悪女と言えばこの人というぐらいの存在。
スパイゆえにその実態は現在でも不明な部分が多く、事実としてあるのはダンサーだったマタ・ハリはスパイ容疑で1917年にフランス軍によって処刑されているということである。
元々の生まれは裕福であったが彼女が幼い頃に実家が破産してしまい、後に二度の結婚をするもいずれも破綻、生活苦からダンサーとして活躍するもその裏ではフランスおよびドイツの将校を相手にする高級娼婦として活動、その際重要な機密を漏らしたとしてフランス軍によって逮捕、処刑されている。
彼女の存在はドイツの暗号を解読した結果判明したとされており、それが事実かどうかは別としてもフランス軍にとっては数多い敗戦の責任をマタ・ハリに擦り付けるのは都合がよかったのかも知れない。フランス人の中には未だに一次大戦でひどい目にあったのはマタ・ハリのせいだと考える者もいるぐらい。
フランスでは国を売った悪女の代名詞となっているが、個人的にはそういった意味でスケープ・ゴートとして利用された面も大きいように思う。
第37位:中華の歴史を作り出した趙姫
誰だ?という感じだろうが秦の始皇帝の母親である。
この人物も性的にはかなり奔放だったようで、元々は呂不韋という商人の愛人であったのが彼女を気に入った子楚(後の荘襄王)の妻となり、政という名の子を産む。
この子供こそ後に始皇帝になった人物であるが、実は当時から始皇帝は呂不韋の子供であったのではないかと言う噂は流れていた。それが事実かどうかは別としても、政が秦王に即位すると彼女は王太后となり相国という地位になった呂不韋と共に秦の国政を思うがままにしていく。
しかし呂不韋は彼女に飽きたのかピーがピーな嫪毐という人物を彼女にあてがい、趙姫もこの人物を気に入ったのかその間には2人子供が生まれている。
そこで終わればいいのだが、嫪毐は趙姫と謀って生まれた子供を秦王にすべく反乱を企て政を亡き者にしようとする。
この反乱は失敗に終わり嫪毐とその子供たちは処刑、その後政は母を死ぬまで幽閉し続けたという。
実の母親に殺されかけたとは、始皇帝も中々に不憫だよなぁ。
第36位:復讐のインディオマリンチェ
今までの悪女とは毛色の違う女性で、コルテスを手引きしてアステカ帝国を崩壊させた人物。
元々奴隷の身分であり、コルテスにも奴隷として献上されたという。
しかしその出自は実は小さな領土を持つ領主の娘であったらしいく、父の死により奴隷身分に落ちてしまい復讐の機会をうかがっていたのだという。
なので彼女は悪女とはだいぶ違うかも知れない。
コルテスを手引きしたもアステカに伝わる「白い肌をもったケツアルコアトルが世界を救う」という神話を信じたからであったからだという。
同胞から見れば敵に味方をした悪女に他ならないが、実際に南米のインディオの命を奪ったのはスペイン人が持ち込んだ天然痘であったそうだし、彼女がいなくても残酷なスペイン人は南米の文明をどのみち破壊しつくした気もする。
でも祖国を売ったというのは悪女度がかなり高いのでこの順位。
第35位:ヴァロワ朝最後の皇妃マルグリット・ド・ヴァロワ
カトリーヌ・ド・メディシスの娘にしてアンリ4世の妻。三銃士で有名なアレクサンドル・デュマの小説「王妃マルゴ」のヒロインとしてフランスでは非常に有名。
とにもかくにもモテたようで、レパントの海戦で指揮をとり歴史的な勝利を達成したドン・ファン・デ・アウストリアをして「あれは、男を救うというよりは、破滅させる類いの美しさだ」と言わしめた悪女。
伝統的なカトリック国であったフランスにおいて宗教融和のためにブルボン家のアンリ・ド・ブルボンとの結婚が決まり、その婚礼の6日後に世界史の教科書にも載っている「サン・バルテルミーの虐殺」が起こる。
これはルターの宗教改革によって生まれたプロテスタント(フランス語ではユグノー)達が2人の結婚を祝いに来たところ軍が発砲したことを機に起こったプロテスタントに対して行われた虐殺事件で、結果としてプロテスタントであったアンリはカトリックへの改宗を強制させられてしまう。
それ自体は別に彼女のせいではないのだが、問題なのはその淫蕩ぶりで、デュマの小説では男あさりに夜な夜な町に出たり兄弟との近親相姦が噂されるなどほどであった。とはいえ夫のアンリ・ド・ブルボンも愛人を抱えており、二人は結局離婚している。
なお余談だがヴァロア家としては最後に王座にあった人物と言え、この後はアンリの実家であるブルボン家がフランス王家を世襲していくことになる。
第34位:伝説の美女西施
傾国の美女代表、中国4大美女の1人と言われる。
「呉越同舟」「臥薪嘗胆」などの故事のもととなった古代中国における越と呉の戦いの際に、呉に敗北した越王勾践が呉王に対して献上したとされる女性。
彼女は病弱で胸に手を当てる仕草が男性を魅了したとされ、それをブスが真似ると「金持ちの家は恐れをなして門を固く閉ざし、門のない貧しい者は妻子を連れて逃げ出す」と言われるぐらい酷いものであったという。扱い酷すぎないか…
他のも彼女が水辺に行くとその美しさで魚たちが呼吸を忘れると言われるほどであり、越王勾践は彼女を使って呉へ復讐することを考えた。
越王勾践の目論見通り彼女の色香に惑わされた呉王は骨抜きにされ彼女の言うことならなんでも聞くようになり、その言葉通り忠臣である伍子胥に死を賜り呉の国力は衰退の一途をたどり、ついには越に滅ぼされてしまうことになった。
伝説ではその後越王勾践の妻から夫をたぶらかすのではないかと敵視され、軍師であった范蠡と共に越の国を出て一緒に暮らしたという。
第33位:パルミラの女王ゼノビア
日本では全く知られていないが、かつてローマ帝国も3つに分かれていたことがあった。そのうちの一角であるパルミラ帝国の女王として権勢を誇ったのが女王ゼノビアだ。
軍人皇帝時代と言われるローマの混乱期において、中東のパルミラという都市の有力者であったセプティミウス・オダエナトゥスの後妻に入るとゼノビアはその智謀と指揮能力でもって夫を支え、二人はローマのためにパルティアや偽皇帝の討伐などに功績をあげる。
ここまでは良かったのだが、欲が出たのかゼノビアは夫とその前妻との息子を暗殺すると幼い息子を後継者に据えて自らパルミラ帝国の樹立を宣言、エジプトやシリアなどを瞬く間に占領し一大帝国を築いてしまった。
しかし快進撃もむなしくローマ皇帝アウレリアヌスにあえなく敗北、その身柄はローマに移された。
その際パルミラは「部下たちが勝手にやったのだ!」と言い訳をしてまわり、これを聞き入れたローマ帝国は重臣達を処刑、ゼノビアはその後衆目のさらし者にはなったものの静かな余生を過ごしたといい、当のアウレリアヌス帝よりも長生きしたのであった。
ゼノビアはペルシャ語やエジプト語、ラテン語などを自在に操れる才女であり、自らをクレオパトラの後継者としていた。
ある意味クレオパトラよりも成功した部分があるのだが、知名度で劣っているのはやはりウィリアム・シェークスピアの戯曲「ジュリウス・シーザー」があるからだろうと思われる。
第32位:すごい、でも恐い!文成文明皇后
これまた日本では知名度がないがかなり悪女度の高い人物である。
魏晋南北朝時代の中国において、北魏の文成帝の皇后になるも夫が死んでしまい血のつながっていない幼き息子の献文帝が即位する。そこで彼女は日本で言う摂政のような地位で政治を行うのだが、献文帝が大人になると彼女の言うことを聞かなくなったためになんとこれを毒殺、自身の孫であった孝文帝を即位させてしまう。
義理の息子を毒殺するなどかなりの悪女ではあるのだが、世界史の教科書に載るような均田制や三長制などを行った人物でもあり、租・庸・調を基礎とした均田制は後に日本にまで伝わったほどであり、世界史の教科書で孝文帝の業績とされている事業は実は全て彼女が実行している。
歴史上の悪女は権勢欲が強い女性が多く、実はかなり優秀な人物も多い。文成文明皇后はその代表であろう。男性の暴君がほぼ無能なのとはこの辺りは対照的だと思う。
第31位:傾国の美貌楊貴妃
「長恨歌」にも歌われるような傾国の美女。
元々は玄宗皇帝の息子の嫁であったが、彼女を見るなり玄宗は楊貴妃を無理矢理我が物としてしまう。その寵愛ぶりは激しく、楊貴妃の一族を要職に取り立てるようになった挙句の果てに彼女にかまけて玄宗は全く政治をしなくなってしまった。
その間に楊貴妃の一族と官僚と安禄山がそれぞれ対立をするようになってしまい、ついに安禄山の乱という世界史の教科書にも載るレベルの大規模な反乱が起きてしまう。これによって、当時世界で最も栄えていた長安の都は焼け野原になってしまい、その様は漢文の教科書に載っている「春望」にあるように国破れて山河あり状態になってしまうのであった。
楊貴妃は中国4大悪女に数えられるほど悪女の代名詞のような存在なのであるが、よぉく考えると楊貴妃自体は別に何も悪いことはしておらず、周りの男たちが勝手に堕落したり争いを始めただけなので個人的に悪女度は低いと判断してこの順位にした。
実際に国を混乱させたのは楊貴妃じゃなくてその一族の楊国忠だったり安禄山だったりする訳で…
第30位:狂気と言われたポルトガル女王イサベラ
「ポルトガルの狂気」とあだ名されたポルトガルの女王。
高名なエンリケ航海王の姪にあたり、かなりの癇癪持ちだったらしく、ある時刺繍をしながら灯りを持ってこいと侍女を怒鳴りつけ、持ってくるのが遅いと怒鳴り、そのまま刺繍を投げ出してしまったというエピソードを持っている。そしてある時その侍女がいなくなってしまい皆で探しているとイザベルの部屋から声がした。恐る恐るので彼女の部屋を見たら大きな箱に侍女が閉じ込められており餓死寸前だっったという。彼女は精神的におかしな部分があり、とにかく虐待が酷く常時何を呟いていないと気が済まなかったという。
実は先ほど出てきた「狂女フアナ」の祖母であり、血統因子的な何かを持っていたのかも知れない。
第29位:運命に翻弄された悪女ルクレツィア・ボルジア
フランシス・コッポラが監督しマーロン・ブラントが主演、アルパチーノなどが脇を固め完璧な映画と言われたゴッド・ファザーの一幕において「ボルジアめ!」と言う言葉が出る一幕がある。
これはある意味最悪の悪口で、マフィアが相手を辱めるほどのボルジア家にあって悪女と呼ばれたのがルクレツィア・ボルジアである。
ボルジア家はローマ教皇アレクサンドル6世(ルクレツィアの父ロドリゴ)やマキャベリの「君主論」にも出てくるチェーザレ・ボルジア(ルクレツィアの兄)を輩出したイタリアきっての名門貴族であったが、その退廃ぶりはマフィアも嘆くほどで、当時はカトリックの司祭は教義で結婚禁止であったにも関わらず父ロドリゴ・ボルジアはその頂点ローマ教皇であったにも関わらずチェーザレやルクレツィアを生み出すという禁忌を犯してしまう。
ロドリゴは自らの力をさらに高めるべく13歳だったルクレツィアをミラノ公国の貴族と結婚させるもわずか1年で離婚させ、その相手を暗殺しようと目論む。この試みは当のルクレツィアが夫に避難するように言ったためそのお相手はなんとかローマに逃げることに成功したという。
その後どうやらルクレツィアは父の部下であったペドロ・カルデンという男と関係を持ち妊娠したらしいが、このカルデンは後日遺体となって発見された。
教皇庁は緘口令が敷いたためか現在でもその後出産したのかどうかも含めてこの件については闇に葬られたままになっているのだが、なぜか兄チェーザレの子供とする出生証明書と父アレクサンデル6世の子供とする出生届の2種類が見つかっており、歴史的にはこの子供は「ローマの子供」と呼ばれている。
アレクサンデル6世となった父はそんなことなどなかったかのように教皇庁とナポリ公国の関係強化のためにルクレツィアを今度は国王の孫と結婚させる。しかしこの夫も結婚2年後に何者かによって暗殺、さらに二人の間に生まれた子供も12歳で夭折している。
この暗殺の実行犯は現在でも不明だが、兄のチェーザレが有力視されていて、兄と妹は男女の関係にあったとする説さえ存在しているが、これまた歴史の闇に消えてしまった事件でもある。
3度目の結婚は名門貴族エステ家のアルフォンソという人物で、ここに来て初めてルクレツィアは父や兄からの束縛から離れることが出来た。そしてたがが外れ過ぎたのかルクレツィアはアルフォンソの姉の夫であるゴンザーガと不倫をし始め、それ以外に幾人もの愛人を持っていたという。
以上がルクレツィアについて分かっている事実であるが、ボルジア家の人間として常に指環に毒を仕込んでおり、気に入らない人間や邪魔な人間がいるとそれを使って排除したという話もあり、兄や父との近親相姦、女性でありながらローマ教皇の椅子に座った(ルクレツィアが父の代理をしたことは事実でこれ自体禁忌ではある)などスキャンダルや醜聞の多い女性であった。
本人の気質はともかく、彼女の醜聞の半分ぐらいは虎狼の心を持つと言われた兄チェーザレや腐敗教皇の代表格であるアレクサンデル6世のせいであるというような気がしてならない。
教会がこんな状態であるのだから、ルターが宗教改革を起こしたくなる気持ちもよく分かるよなぁ。
第28位:朝鮮の悪女鄭蘭貞
豊臣秀吉が遠征するより前の李氏朝鮮で暗躍した悪女。
貧しい生まれだった彼女は兎に角上昇志向が強く、持ち前の美しさをもって当時の皇后の弟の妾となり、他の側室たちを追い出したあげくに皇后に取り入りその陰謀に加担、当時の王の側室たちを陰謀によって次々と追い出し皇后の歓心を買い、同時にその弟の正妻を毒殺し自らがその正妻の地位に就くというかなりの悪女ぶり。
しかし皇后が亡くなると後ろ盾がなくなり脆くも権力の座を転がり落ちるようになる。ついには反対派によって逮捕され前妻殺害の罪で流刑になり、最後はその地で毒をあおって自殺を遂げたという。
韓国では有力者の後ろ盾がなくなったり有力者でなくなると訴追されるケースがこの頃から現在まで続いているので、そういう文化なのかも知れない。歴代大統領なんかも任期が終わるとほとんどが起訴されていますし。。
第27位:フィリピンの生きる伝説イメルダ・マルコス
20年に渡りフィリピンの大統領職にあったフィルディナント・マルコスの妻で、フィリピン史上最悪の悪女と呼ばれる人物である。
兎に角浪費癖がすさまじく、高級な靴や洋服、装飾品などを数万単位で保有しており、政府に寄せられた寄付金を横領し懐に入れ、マニラの美化活動と称しては貧困層を市内から一掃するなどかなり派手にやらかしている。
そのため非常に国民から恨まれておりある時ナイフで切りつけられて全身で10を超す刺し傷を受けるもその後何事もなかったかのように復帰、凄まじい生命エネルギーを見せつける。
このようなことが続いたためか民衆からの支持を失い、その地位が失われそうになる。そのような状態の中で大統領候補で有力視されていたベニグノ・アキノの暗殺事件が起こり、民衆は爆発。フィリピン全土で反マルコス運動が広がり、反政府デモが100万人単位になったのを見て流石に夫婦そろって逃亡するもいつのまにかフィリピンに帰ってきており、2011年には議員として政界復帰しているから驚きだ。
2018年には汚職の罪などで実刑判決を受けている。実は今回のランキングの中で唯一存命中の人物であり、2019年現在90歳になるが未だに元気だといい、その誕生パーティには2500人もの人が訪れたという。
なんというか、凄まじいエネルギーの持ち主である…
第26位:大国の皇妃ヒュッレム(ロクセラーナ)
オスマン帝国最盛期の王スレイマン大帝の妻。ヨーロッパでは彼女のことはロクセラーナ(ロシア人の女性の意味)の名前で呼ばれている。
元々は現在のウクライナ出身ので奴隷で、そこから自らの美貌と知略でもって大帝の妻にまで昇り詰めることに成功した。魔法使いの力によって王子を射止めたシンデレラの強化版である。
ロクセラーナはハーレム(後宮)においてもその智謀による権謀術数を使ってライヴァルを次々と消し、当時結婚という概念さえなかったオスマン帝国に正妻という概念を持ち込み、自分の産んだ子供を後継者へと据えることに成功した。
元々スレイマン大帝の後継者には別の女性が産んだムスタファという人物が有力視されていたが、ヒュッレムは娘の夫である大宰相と共にムスタファの処刑をスルタンに進言、自分の息子を次代のオスマン帝国スルタンとすることに成功したのだった。
もっとも、ヒュッレムの遺した3人の息子達は仲が悪く、彼女の死後凄惨な後継者争いを繰り広げ後継者となったセリム2世は他の2人の子供を処刑してしまったのだから皮肉というか因果応報と言うか…
第25位:日本史上最悪の悪女日野富子
足利義政の妻で日本三大悪女の1人と言われる。
事の始まりは義政との子供が生まれてすぐに亡くなってしまったことだろうか。
その際にその責任を義政の乳母が呪ったからだとして島流しにしたところから彼女の悪女ぶりが露わになっていく。彼女は義政の側室たちを次々と追放していくも中々男の子供が生まれず、仕方なしに義政の弟である義視が次代の将軍に内定するのだが、やがて日野富子が男の子を産むと彼女は時代の将軍にその男の子をと言い出し、そのことが応仁の乱に発展し、さらにこの時より日本の戦国時代が始まったと言われる。
これだけでも中々なのだが、応仁の乱の際中には実家日野家の資力を用いて金融業を行い、自軍のみならず敵軍にも高利貸しをして私腹を肥やし、京にいたる関所の関税を国家には入れずに懐にいれるという暴挙に出る。これらの関税は本来京都の寺社の修繕などに使われるはずだったため、怒った住民が日野富子に対し反乱を起こしたのだが、当の日野富子はどこ吹く風でますます貯蓄に務めたというから恐ろしい。
やがて政治的無関心から義政が将軍職を息子に譲ると母として政治の実権を握りさらにやりたい放題。しかし頼みの息子が25歳で死去すると権力の座から転げ落ちることを危惧し次の将軍(義政の弟の子供)をクーデターによって打倒(明応の政変)、義政の甥であった義澄を将軍に据え自身はその裏で室町幕府を陰から操ることに成功したのであった。
その間も貯めに貯めたり、創り上げた資産は現在に換算すると100億近くになるという。民は戦乱であえぎ家を失い、食べるものもなかったというのに…
さらに夫の義政が銀閣寺を建てた時には一銭も援助をせず、そのため銀閣寺は予算不足で銀箔を貼ることが出来なかったというケチぶり。まさに守銭奴と呼ぶに相応しい人物であった。
日本三大悪女と言っても淀君は正直ここにランクインさせるほどでもないし北条政子もご覧いただいた通りそこまで悪女成分が強い訳でもなく、日本ではこの日野富子が頭一つ抜けた悪女だと思う。
第24位:聖人の首を欲したサロメ
ファムファタール(男を破滅させる女)の代表格ともいえる女性で、オスカー・ワイルドの戯曲でも有名。
ユダヤの王子の娘として生まれたサロメはある時母とその異母兄であるアンティパスが不倫の関係にあることをヨハネという人物に糾弾される。
後日サロメは伯父であるアンティパスの宴に呼ばれ見事な舞を見せると褒美に何が欲しいかを聞かれた。彼女はそれに対し「ヨハネの首」と答えるとアンティパスは部下に命じてヨハネの首を盆に載せて持ってこさせたという。
ヨハネは別名「パプテスマのヨハネ」と言い、イエス・キリストに洗礼を施した人物であり、キリスト教徒にとっては聖人中の聖人であったのだった。そのためその殺害を命じたサロメは悪女中の悪女として人々に記憶されることになったのである。
この逸話は様々な絵画や戯曲などの題材になっており、サロメ関連の画は多いのだが、それを探しているうちになんだか具合が悪くなってきてしまった…
それこそ山のように出てくるので興味がある人は探してみると良いかもしれない。
サロメに関しては時代を経るにつれて脚色が多くなっており、元々はサロメではなく母がヨハネの首を欲したため娘にそれを望むように言ったのだったが、近代ではサロメは多くの男たちを魅了してきたが聖ヨハネだけは誘惑できずにその腹いせに首を所望したことになっている。そういった意味で彼女は作られた悪女なのかも知れない。
第23位:魔女と呼ばれた女ラ・ヴォワザン
ルイ14世時代に魔女と言われた人物。数え切れぬ人々を毒殺したという。
このランキングはこの辺りから本格的に「悪女悪女」してくる。
ヴォワザンは表向きは気のいい婦人で、富豪の妻として人々をよく晩餐に招待することで有名であり、同時にその占いはよく当たると評判であった。
しかし豪商だった夫が亡くなると風向きが変わり、助産師として働く傍ら裏では堕胎業などを営み、毒薬の製造・販売なども行うようになっていったという。
やがて彼女の販売した毒薬を使って殺人をした者が捕まると彼女も連座して捕まり、壮絶な拷問にかけられることになる。そしてその結果自宅において黒魔術に昏倒したことやその顧客に王侯貴族たちが関与していることを自白、王宮はそのことにより騒然となる。
その後彼女は魔女として火刑裁判にかけられて処刑され、彼女の自白は王室によってもみ消されたようだが、生き残った彼女の娘がその顧客の中にはルイ14世の愛人であったモンテスパン侯爵夫人もいたことを証言すると当時の一大スキャンダルとなって世を騒がせることになってしまった。騒ぎを鎮静化させたいルイ14世はこの事件についての一切の記録を破棄させ歴史の闇に葬ったという。
思うに、彼女が行ったとされる毒殺事件などは王侯貴族の行ったことであり、彼女もまたマタ・ハリのようにスケープ・ゴートにされたのではないかと思う。黒魔術うんぬんに関しても当時のヨーロッパではでっち上げの罪で裁くことは日常茶飯事であったし、信憑性のほどは怪しい。
とはいえ彼女が毒物の販売などをしていたのは事実なようなので、やはり悪女ではあるのだろう。
第22位:賢臣の娘ルチッラ
五賢帝の1人で哲人皇帝と言われるほど思慮深かったマルクス・アウレリウス・アウレリアヌス帝の娘にして暴君として有名なコンモドゥスの姉。
ラッセル・クロウ主演の映画「グラディエイター」ではヒロインとして活躍したが、実際には歴史上でも上位に入るほどの悪女で、そもそもコンモドゥスが暴君化したのは姉であるルチッラが彼を暗殺しようとしたからである。
五賢帝はみな後継者に血族を選ばずに実力主義で次代の皇帝を選んだのだが、アウレリウス帝だけはまだ自分が存命であるにも関わらず自分の子供可愛さにコンモドゥスを共同皇帝に据え、ルチッラに「アウグスタ(皇妃)」の位をあげてしまう。
父が死ぬとルチッラは時代の皇帝位は自分のものだと思い込んだのか実の弟であるコンモドゥスの暗殺を実行。
なんとか命こそ助かったものの姉を信じ切っていたコンモドゥスは猜疑心の塊となり歴史に残る暴君へと変貌してしまう。これにより初代皇帝アウグストゥスより続くパクスロマーナ(ローマの平和)は終わりを迎え、滅亡に向けてひた走っていくことになったのであった。
なおルチッラは皇帝暗殺事件以後島流しの刑に処されその二か月後に謎の死を遂げる。
第21位:恐ろしきロシア貴族ダリヤ・サルトゥイコヴァ
基本的にこの記事ではシリアルキラーは取り扱わないのだが、彼女の場合は貴族であるため特別にランクインさせた。
完全なるサディストであり、帝政ロシアにおいて農奴と呼ばれる人間に虐待をすることに悦楽を見出し、拷問によって死にいたらしめた農奴は100人を越えると言われる。
このような事態が起きてしまった背景には夫の早すぎる死があり、その広大な領地を手に入れた彼女に歯止めをかける人間が存在しなかったことがある。
彼女の行いは多くの者が知るところとなっていたが、出自を辿れば王族にさえ連なる有力貴族であった彼女を裁く者もなく、また彼女は広汎なコネクションを持っていたために黙認されたことも大きい。
そんな彼女を一人だけ裁ける人がいた。女帝エカテリーナである。
領民からの嘆願書を受け取った彼女はダリヤ・サルトゥイコヴァの身柄を確保し領地を捜索、その取り調べは6年にも及んだという。
捜査の結果彼女が拷問死させた農奴の数は138人にのぼり、その中に男性は含まれず全て女性であったという。
その拷問の方法はすさまじく、書ける範囲で記載すると沸騰したお湯や油を頭からかけたり焼いた鉄を肌に押し付けたり鞭でうったりとやりたい放題で、そしてここまでしたのに死罪にはならず、晩年は修道院の地下室で静かな余生を送ったという。
第20位:美しき女看守イルマ・グレーゼ
人類最悪の罪と言われるアウシュビッツ収容所の女性看守。
大戦後彼女の悪行は次々と明らかになっている。 それによると彼女は完全なるサディストで、ユダヤ人に虐待を加えることに愉悦を見出しており、より残酷な方法で拷問を加えることに専心していたという。そしてそれは生きている時にとどまらず、ガス室送りになったユダヤ人の遺体に犬を噛みつかせるなどの常軌を逸した行動を繰り返していたという。
ナチスの人体実験を主導した高官ヨーゼフ・メンゲレという人物とは愛人関係にあったという。彼女のしてきたことはオルガ・レンゲルやバリー・スバンヤーの回想記に記されており、「石の心を持った女」「天使のような顔をした悪魔」などと糾弾されることが多い。
最終的には死刑となったが、その時の年齢はわずか22歳であったというから驚きだ。
第19位:傾国の美女末喜(バッキ)
現在より遡ること約3500年前、中国は伝説と呼ばれる夏王朝の支配下にあった。
その最期の王である桀はある時征服した民から絶世の美女を献上される。桀は末喜いう名のこの美女に首ったけになり、なんとか彼女の歓心を買おうとするも何をしても末喜は喜ばない。桀は彼女に対し「何でも願いを言うが良い、叶えてやろう」というので彼女はかつてないほど豪華な宮殿を望んだ。
桀はその通りに宮殿は完成させると、末喜はこの宮殿をこの世の楽園のように変えたいというので桀はそこにある池は酒で満たしそこかしこに肉をつるさせた。それらは重税により可能となっていたため民は疲弊し、食料がなく餓死する人々も増えてきた。
桀の行いを諫める人もいたがそういった人物たちは全て処刑されてしまい、賢臣達は皆桀の許を去って湯の元に集まるようになっていった。湯は夏王朝を打倒し新たに殷王朝を建てたという。
第18位:傾国の悪女妲己(ダッキ)
封神演義で有名になった悪女。
殷王朝最後の王である帝辛のもとに献上されその妃となるのだが、彼女は全く笑わなかった。何をしても笑わない彼女を喜ばせようと帝辛は世界中から珍品逸品を集めさせて彼女に贈るのだが何をプレゼントしてもニコリともしない。
それならばと帝辛は酒で池を満たし木に肉をぶら下げて男女を裸にして遊びまわらせた。
それでも笑わない妲己だったが、ある時炮烙というとてもここには書けないほど残虐な刑を見るとケタケタと笑い出した。それを見た帝辛は大喜びで罪もない人々を残虐な刑に処したという。
そしてそれを見た賢臣が彼を諫めると妲己は「聖人の心臓には7つの穴があると聞きます。私はそれを見とうございます」と言うので帝辛はさっそくその者を処刑し心臓を取り出すとそれを見た妲己はケタケタと笑って楽しんだという。
その後帝辛の身の回りからは賢臣がいなくなり、代わりに周の武王のもとに集まるようになる。太公望を軍師に武王は殷を打倒し、中国には新たに周王朝が建国されることとなった。
…あれ?どこかで聞いたような話だな。
第17位:傾国の微笑み褒姒(ホウジ)
周王朝は西から来る異民族犬戎の侵攻に悩まされており、敵が近づいたら狼煙を焚くという習慣があった。
一方周の幽王には全く笑わない褒姒という妃がいた。彼女は王が何をしても笑わなかったのだが、ある時間違えで上がってしまった狼煙を見てキャッキャと無邪気に笑った。
それ以降幽王は褒姒を笑わせるために頻繁に狼煙を焚いたのでいざ犬戎が攻めて来た時には誰もこれに対処しなかったという。
こうして周は実質的に滅び、中国は長い戦乱の世である春秋戦国時代に突入し、それは秦の始皇帝が中華を統一するまで500年も続いたのであった。
それにしても末喜、妲己、褒姒の記述は似すぎており、恐らくいくつかは後代の後付けでどれかはオリジナルなのだと思う。中国の歴史において「傾国の美女」と「愚かな王」は新王朝の正当性を主張するためのセットと言っても良い。
これは、実は夏王朝から最期の清王朝までの中国4000年の歴史は同一系譜の王朝が続いており、支配者たる正当性を得るためには前王朝から政権を引き継ぐということが必要であったためである。
そのため前王朝最後の為政者は暴君でなければ自分たちの正当性は主張できず、その結果モチーフとして美女に溺れて政治をおろそかにしたというのは最もよく使われる手になったと思われる。
なのでこの3人についてはそもそも存在自体が怪しいという部分もあるのだが、それぞれ今から3500年前、3100年前、2600年前ととてつもなく昔の話なので悪しからず。
第16位:夫殺しの皇妃テオファノ
1000年以上も続いたのになぜか影の薄いビザンツ帝国にあって一際知名度が高いのが悪女テオファノである。
長きビザンツ帝国の歴史の中でも最高の美貌をもった女性であったと言われ、「酒を売っていた父親」から生まれて皇帝に見初められて皇后にまで成り上がったリアルシンデレラである。
ビザンツ帝国はかつてのローマ帝国とは異なりあまり詳細な歴史を記録していなかったためどのようにして皇后にまでなったのかはわからないが、とにもかくにも彼女は皇帝ロマノス2世の皇后になったのは間違いがない。
一説には夫を皇帝にするため夫の父であったコンスタンティノス7世を毒殺し、夫の妹たちを修道院に贈り尼にすると、政治にまるで興味のない夫を陰で操り帝国内の権力を実質的に一手に集めたという。
ここまではまぁまぁよくある程度の悪女だが、その権力の後ろ盾でもある夫が死んでからは激しい権力欲で自らの地位の保持に躍起になった。
テオファノは幼き息子達を共同で帝位に就かせると自分は摂政となり政治の実権を再び握ろうとしたが、これに軍部は反発、自分たちの長であるニケフォロスこそが皇帝に相応しいと主張する。
そこで彼女は当のニコフォロスと結婚するということを思いついて軍部の実権を握ることに成功した。ニコフォロスの方はテオファノを愛していたようだが、テオファノの方は夫にはまるで興味がなく、彼の甥で半端ないイケメンであったヨハネスと情事を重ねるようになり、しまいには夫のニコフォロスの暗殺計画を立てるに至る。
この計画は成功してしまいニコフォロスは死亡。計画通りに行けばヨハネスは皇帝、テオファノはその皇后に就く予定であったが、これにコンスタンティノープルの大司教が反対、神を恐れるヨハネスはテオファノを夫殺しの罪で告発。テオファノはそのまま隣国のアルメニアに流されそこで死ぬまで監禁されていたという。
シンデレラのストーリーは王子様と結婚したところで終わるが、個人的にはその後のストーリーをとても知りたいと思っている。実際このランキングにも何人かリアルシンデレラが登場するがその末路は…
第15位:血好きと言われた女王ブラッディ・メアリー
ウォッカをベースにトマトジュースを加えたカクテルをブラッディメアリーと呼ぶ。トマトの赤さがまるで血のようであることから名づけられたのだが、その由来は「血好きのメアリー」と呼ばれたイングランド女王メアリー1世に由来する。
マルティン・ルターの起こした宗教改革の余波はすさまじく、特にローマから遠いイギリスではカトリックの力が弱まり、ヘンリー8世はローマ教皇ではなく国王が首長となる英国国教会の設立を宣言するに至った。
メアリー1世はその娘な訳だが、スペイン王フェリペ2世に嫁いだということもあり敬虔なカトリック教徒であったため、父が作った英国国教会の信徒たちに対して弾圧を加え、女性や子供を含む300人もの新教徒を処刑してしまう。
このことにより彼女には流血好きのイメージがつき、ブラッディ・メアリーのあだなで呼ばれるようになったのだった。
彼女は1558年に亡くなりエリザベス一世が即位するのだが、その後200年間メアリー1世のの命日は「圧政から解放された日」として国民の祝日となっていたという、
第14位:暴君を作り出した東洋の巫女ユリア・メサ
高名な五賢帝時代が終わるとローマ帝国は大混乱期に陥った。マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の息子コンモドゥスは映画「グラディエーター」の悪役としても有名なほどの暴君で、その後はセプティミウス・セヴェルスとその妻ユリア・ドムナの息子達によっセヴェルス朝がはじまるも歴史的な暗君カラカラ帝を輩出してしまいローマは限りなく衰退していく。
そしてカラカラ帝が死んだタイミングで、彼の母親であるユリア・ドムナの妹のユリア・メサが政治の表舞台へと姿を現すことになる。
彼女は中東の神官の家系で、怪しげな術を使い不思議で大きな石を信仰する風習を持った女性であった(オリエント地域ではしばしば巨大な石が信仰の対象となる)。それだけならなんら問題がなかったが、ユリア・メサはローマの混乱に乗じて自らの孫である14歳のヘリオガバルスをローマ皇帝へと据えてしまう。
その結果世界最高の権力者となったヘリオガバルスはもう無茶苦茶で、全部書いたらこのブログが吹き飛ぶんじゃないかってぐらい18禁的な意味で酷く、書ける範囲で言うと4年間で5度結婚しており、夫のいる女性を夫を殺害して無理矢理結婚したり、薔薇の花びらのプールで招いた客を窒息させたりなんてことをしている。
ヘリオガバルスについてくわしく知りたい人はこちらを見て欲しい。
あまりの暴走ぶりに祖母であるユリア・メサも制御不能となりついには別の孫であるアレクサンデルを皇帝にすることを決意する。
それを知ったヘリオガバルスは激怒して機先を制して従兄弟のアレクサンデルを殺害するよう親衛隊に命じるが、親衛隊は皇帝の言うことをまるで聞かずに逆にヘリオガバルスの方を殺害してしまう。
ヘリオガバルスは親衛隊の嘲笑と共に嬲り殺しにされ、最後その遺体は川に投げ捨てられたという。世界史上でも最悪クラスの暴君とはいえちょっとかわいそうな気もするが、ユリア・メサはヘリオガバルスが死ぬとさっさとアレクサンデルをローマ皇帝に据えた。
しかし因果応報というか、ユリア・メサは大人しくなったかと思うと今度はアレクサンデルの母ユリア・マメアが暴走し、それに反発した兵士たちによってアレクサンデルとその母ユリア・マメアは殺されてしまう。
これによりローマは50年間で25人も皇帝が変わる前代未聞の軍人皇帝時代と言われる最悪の時代に突入してしまう訳だが、偉大なるローマ帝国を礎から破壊してしまったという点でユリア・メサは世界史上でも屈指の悪女であると言えるだろう。
第13位:朝鮮史上最悪の悪女張緑水
朝鮮史上最悪の悪女と言われる人物。
元々は奴隷身分の出身であったが、美しい声を武器に成り上がり、朝鮮史上最悪の暴君である燕山君に見初められた朝鮮版リアルシンデレラ。
しかしその最期は余りにも人の恨みを買い過ぎたため、彼女の遺体に人々は唾を吐きかけ石を投げ、その石が多すぎたために遺体は見えなくなり石塚ができるほどであったという。
何をすればそこまで恨まれるんだよと思うが、自分の豪邸を建てるために人々の家を壊してそこに無理矢理建てたり、自分の服のすそを踏んだという理由で宮女を打ち首にした挙句にそれをさらし者にしたり、一族を無理矢理要職につけたり自分たちが贅沢をするために増税し苛烈な取り立てをしたりと夫の燕山君と共に凄まじい暴政ぶりを発揮し、逆らうものは片っ端から処刑して行ったというのを聞いて納得した。
夫である燕山君自体も宦官を重用し士大夫層を弾圧、王宮で贅沢三昧した挙句にクーデターで失脚しており、王位にあったにも関わらず廃されその号は「君」である(朝鮮では本来「宗」の字がつく)。
類は友を呼ぶというが、ある意味似た者夫婦であったのかも知れない。
第12位:悲しき暴君の母ユリア・アグリッピーナ
初代ローマ皇帝アウグストゥスの血を引く女性で、ネロの母親と言えばピンとくる人も多いかも知れない。
「アグリッピーナコンプレックス」の語源ともなった人物で、息子であるネロに対して性的な虐待をしたとされる。
それ以前にも兄のカリギュラとの近親相姦も噂されており、富豪であった夫の殺害容疑もあった。これらが果たして根も葉もない噂だったのかはわからないが、アグリッピーナは父の弟、つまり実の叔父であるクラウディウス帝と法律を変えてまで結婚した。これは自分の息子ネロを皇帝にするためだけに結婚したと言われていて、クラウディスと前妻の子供であるブリタニクスを毒殺すると夫であるクラウディウスのことも毒殺し息子のネロを皇帝に据えることに成功した。
それまでの過程はともかく初期は哲学者セネカを家庭教師に据え優秀な将軍ブルッススを擁するなど順調な治世であったが、やがてネロが成長するにつれて疎まれるようになり、最後は息子によって殺されることになる。
自らの死に際に際して息子の放った暗殺者に対し腹を指さして「刺す時はここから刺しなさい、ネロはここから生まれたのです」と言って果てたという記録が残っている。
色々と凄まじい女性で、初代皇帝のアウグストゥスから5代目のネロまで全て彼女に何らかの形で関りがあり、まさにローマの上流階級中の上流階級であった訳だが、その人生はお世辞にも幸せだったとは言えないであろう。
息子に殺される母親ほど悲しいものはない。
第11位:恐ろしきアフリカの女王ンジンガ
16世紀末期、アフリカのウドンゴ王国に登場した女王。ポルトガル語と現地の言葉を自在に操れる賢女でもあった。
ウドンゴ王国の国王であった兄を殺して女王になるとその強烈なカリスマ性で国内をまとめ上げ、当時奴隷狩りを敢行していたポルトガル勢力を駆逐。その後はオランダと手を結んでポルトガルと五分の条約を結ぶなど優れた政治手腕を見せた。
あれ?今回のランキングって立派な女性列伝だったけ?とも思うが、ンジンガは非常に凶暴な性格をしておりカニバリの趣味があったという。また自分に失礼な態度をとった村の村人600人を牢に入れると巨大な石臼を作ってそこに投入し、自ら食したと伝えられている。
他の話ではとらえた人物同士をローマの剣闘士のようにトーナメント方式に決闘させ、最後まで勝ち残ったら解放してやると言ったにもかかわらず最後に生き残った人物を最もむごたらしい方法で殺害したなんて話もある。
さらには夜の相手も決闘によって決めさせ、勝ち抜いた相手には噛みつくなどの激しい方法で行為に及び、ことが終わると用済みとばかりに処刑させたという。
まるでカマキリの雌のような女性であるが、これらの記述はポルトガル側の資料によっているためその分は割り引いて考えねばならないだろう。
第10位:中華史上唯一の女帝則天武后
中国史上唯一の女帝。近年では武則天の名で呼ばれることも多い。
2000年以上の歴史を持つ中国において彼女以外の女帝が出てこないところに中国の徹底的な男尊女卑さを感じるが、それはさておき則天武后はかなり激しい女性である。
かなり複雑な過程を経て彼女は大唐帝国の皇帝高宗の皇后となるのだが、元々高宗には皇后がいたのにそれを無理矢理廃嫡し、最大のライバルであった蕭淑妃共々庶民の位に落としてのことだった。そしてそれだけでは足りなかったのか則天武后は二人に対し100叩きの刑を執行し、拷問を加えた上で処刑するという残虐さを見せつける。
その恐ろしさからかそれとも別の何かなのか、高宗は則天武后の言いなりとなり彼女に対し異を唱える人物たちを次々に粛正していくことになる。もちろん皇帝にそうさせているのは則天武后その人である。
やがて夫が亡くなると今度は息子が皇帝に成る訳だが、ここで息子の妻と則天武后の争いが始まり、激怒した則天武后は息子の中宗を廃嫡し弟の睿宗を皇帝に据えてしまう。
彼女の権力欲はすさまじく、ただのキングメーカーでは収まらなかったのかやがて自らを聖神皇帝とすると国号を周に改めてこれまた睿宗を皇太子に格下げてしまう。
晩年はさすがに勢いが衰えたのか佞臣の言うことをよく聞くようになるもそれがきっかけでクーデターが起こり、則天武后は退位させられ再び睿宗が即位するようになる。則天武后はこれで気力が尽きたのか次の年に亡くなってしまった。
かつては「武韋の禍」などと呼ばれ、ライバルを次々に処刑するなど中々の悪女ぶりでで有名な彼女だが、その政治に関しては現在ではむしろ評価されており。初めて科挙を本格的に運用し貴族の力を弱めたことや民衆レベルでの反乱などはなかったことから比較的治世はまともだったのではないかということで近年は名君だったのではないかという話さえ出てきているほどである。
第9位:王政ローマを終わらせた父殺しトゥーリア
王政ローマを終わらせた人物。
ローマ最後の王である尊大なるタルクィニウスの妻として王妃の座に就くのだが、それ以前は実はタルクィニウスはトゥーリアの妹と、トゥーリアはタルクィニウスの弟と結婚していて、トゥーリアはその夫の死ぬ前から兄を誘惑し続けていたらしく、その夫や自身の妹のこともトゥーリアが殺したという説があるほど。
極めつけは自身の父でもあったローマ王セルヴィス・トゥリウスを元老院の階段から突き落として殺そうとし、まだ息があるのを見るとわざわざ馬車でひき殺したという。世界史宏と言えどもさすがに自分の父親を殺した娘の例を他に知らない…
その後はローマで覇権を握り夫婦で悪政の限りを尽くすも耐えかねたローマ市民たちから追放され、その後イタリア北方のエルトリア人と手を結んでローマ軍と戦うも敗北。以降ローマが王を戴くことは二度となかった。
ちなみに画は「ルクレツィアの死」という題名で、トゥリアの息子がルクレツィアを襲ったことから夫への愛を主張するため死を選んだルクレツィアという女性をモデルにしたものである。この事件によってローマ市民は立ち上がり、トゥーリアと尊大なるタルクィニウスを追放するに至ったのであった。
第8位:吸血鬼伝説のモデルエリザベート・バートリ
ハンガリーが生み出した最悪の悪女。
ヨーロッパの歴史において悪女と言えばまず真っ先に彼女が思い浮かぶというほどのレベルで、元々はハプスブルク家にも連なる名門貴族の出身であり、そういった生まれもあってかなり傲慢でわがままな性格として育った上に、ハプスブルク家同様バートリー家も精神疾患を抱えた人物を多く輩出しておりある意味生まれついての者だったのかもしれない。とはいえ狂女ファナやポルトガル女王イサベラとは比較にならないほど彼女は狂っているのだが…
兎に角彼女についての記述は閲覧注意である。
ある時彼女の髪を侍女が結っていた時、櫛が髪に絡みついてしまうという事故が起きた。バートリーはこれに怒り、手にした髪留めで何度も侍女の心臓を刺すとその返り血を浴びることになった。
元々黒魔術や黒ミサに興味があった彼女は彼女はこの時何かに目覚めたのか、若い娘の血を浴びれば自分はいつまでも若く美しい状態を保てると妄信するようになり、領地の娘達を次々と自宅の地下室で殺害しその血を浴びるようになっていったという。
彼女が生きたのは16世紀後半でイギリスのエリザベス女王や日本の織田信長などと同時代のことであるが、この頃はまだまだ貴族の言うことは絶対であり、さらに彼女は多額の資金でもって娘達を買ったため領民もそれに付き従ったという事情もあった。
日本でも東北の身売りからまだ100年ほどであるし、世界を見渡せば子供を売らなければならない人間はまだまだいる。エリザベス・バートリーの凶行の裏にはそういった貧富の差の問題もあったと言える。
そのような歪みに支えられて、彼女の行動は日に日にエスカレートしていく。拷問は非常に趣向が凝らされ、ここではとても書けないようなとんでもない方法で娘達を死に至らしめた。
もはや彼女の暴走を止められる人物はいなくなり、高貴な血を求めるようになった彼女あついには他の貴族の娘達にも手を出すようになるのだが、これがきっかけで裁判にかけられることになる。
その犠牲者の数は最低でも600人を越えるとされるが、当時のオーストリア皇帝の親類ということもあり死罪ではなく終身刑となり、そのまま牢獄で静かにその生涯を終えたという。
生まれが絶対であった時代の悲劇だと言える。
ちなみに彼女は器具による拷問を好んでおり、特に「アイアンメイデン(鉄の処女)」をよく使いそこから出る血の風呂によく入っていたという。
彼女のあまりの残虐性に着想を得たブラム・ストーカーは吸血鬼伝説である「ドラキュラ」を出版するにいたったという。
ここまでいくと悪女というよりも狂人の域である。
第7位:敬虔な虐殺者カトリーヌ・ド・メディシス
イタリアメディチ家出身のフランス王妃。
宗教改革を引き起こしたレオ10世と言い彼女といいメディチ家はとんでもない人物しか輩出していない。
フランス王妃としてフランス史上最悪の虐殺事件として知られるサン・バルテルミーの虐殺を引き起こした人物ではあるが、彼女はある意味本来的な意味での「確信犯」であり、その虐殺に対しては一切良心の呵責などは感じなかったことであろう。
虐殺の根本はカトリック側が新教徒たちに対して行った異端征伐であり、古くからフランスではよく行われていたことであると言え、サンバルテルミーが有名ではあるがヴァシーの虐殺事件などカトリック側が新教徒を虐殺した事件はフランス内で頻発しており、観方を変えると新教徒とカトリックの戦争でもある。
それでも虐殺された人数は万を超えており、単なるシリアルキラーたちとは全然規模が違うと言えるだろう。
もちろん数の問題ではないのだが、ロシアのシリアルキラーであるダリヤ・サルトゥイコヴァが殺した数が138人であることを考えるとその規模の違いがよく分かる。
1人1人殺せば殺人者だが1万人殺せば英雄だとはチャップリンの言葉だが、ある意味それを地で行っているかも知れない。
しかもサン・バルテルミーに関しては娘のマルグリットとアンリ・ド・ブルボンの結婚の祝いにかけつけた人たちへの虐殺であるためかなり悪質性は高いと言える。
第6位:狂乱の文化大革命江青
中国共産党の創始者毛沢東の夫人。晩年は毛沢東でさえ彼女の暴走を抑えることができなかった。
若い頃より上昇志向の塊で、元々結婚していた毛沢東を離婚させて自分と結婚させるほどの行動派。性格は激しいの一言で、さらに恨みを持った相手には何年経とうとその恨みを忘れないという性質をもっており、しかもそれは逆恨みであることが多いからかなり厄介な人物だったと言える。
例えば周恩来は毛沢東と彼女の結婚に反対していたが、これを恨みに思った江青は数十年経って実権を握ると毛沢東の養女を逮捕投獄して死に至らしめている。他にも有力者の劉少奇の妻など気に入らない女性は最終的に死にいたらしめており、その極めつけは女優王瑩と演劇界に対する処遇である。
江青は若い頃女優をやっていたが、そのころ人気だった王瑩に対し強い憎悪の念を抱いていた。自分が主役になれないのは彼女のせいだと。時を経て権力を握った江青は王瑩をいわれのない罪で逮捕、投獄して結局死に至らしめた挙句に演劇界そのものを弾圧し根絶に近い状態にまで追い込んでしまった。
完全なる逆恨みなのだが、江青は恨みを内部で増幅させるタイプの女性だったようで、権力を握るとそれを爆発させてしまった。
彼女はまた悪女にありがちな浪費家で、景徳鎮の陶器を特に好み、貧富のない社会を目指すはずの共産主義政権下でかなりの額をため込んでいたようである。
文化大革命を主導し中国全土を混乱の渦に巻き込んだ江青だったが、毛沢東が死ぬと後ろ盾がなくなり、ついに自身が逮捕、投獄されてしまう。晩年は仮釈放を受けるも1991年に彼女は自らの命を絶ってしまうことになった。何気にこのランキングで自殺をした珍しい女性でもある。
江青は激しい嫉妬心の持ち主で、自分より優れた何かのある女性に対し敵意を燃やす性格だったようで、彼女の粛正の対象は常に女性に限定され、男性がその毒牙にかかった例はないという。
やはり、女の敵は女なのかも知れない。
第5位:ローマ史上最狂の皇妃メッサリーナ
アグリッピーナと並ぶローマを代表する悪女。
実は彼女もアグリッピーナ同様第4代ローマ皇帝クラウディスの妻だった人物で、アグリッピーナの前の妻にあたる。
メッサリーナは大変な浪費家で、国家財政を逼迫するほど派手にお金を使っており、資産が無くなると夫の名で裕福な人間から財産を没収するという飛んでもないことを行っていた。被害者の中には後にネロの妻となるポッペアの母親やローマで最も立派な宮殿を持つヴァレリウス・アジアティクスなどもおり、彼らは国家反逆罪や近親相姦など無実の罪を着せられてその財産が没収された人たちである。
とにもかくにも夫の権力をもって好き勝手をし、本来なら女人禁制のはずの凱旋式にも参加してローマ市民の顰蹙をかっていたり、パーティ好きでそこで出会った男性を自ら誘っては関係を持っていたりしたという。そんな彼女に夫のクラウディウスは全くの無関心であったと伝えられる。
クラウディウスとは35歳差の結婚だったこともあってかなり欲求不満だったらしく、皇妃であるにも関わらず彼女は夜な夜な娼婦小屋に行っては自ら客をとり、多い時には一晩で10人以上の男性を相手にしたという。
そして何を血迷ったか若きイケメンのシリウスという人物と結婚してしまう。
これは当然のように二重婚にあたり、ローマでは罪にあたるためこれが原因となって彼女は死刑となる。メッサリーナは夫であるクラウディウスに助命の嘆願を行おうとするも馬車の御者が彼女を載せるのを拒否したせいでそれも叶わずあえなく処刑。それを聞いたクラウディスは眉一つ動かさず、無反応なまま書類に目を通していたという。
第4位:ルーマニアの独裁者エレナ・チャウシェスク
ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクの妻。
チャウシェスク政権の恐怖政治ぶりはなかなかにすさまじく、セクリタテアと呼ばれる秘密警察でもって国民を監視していたことは有名であるが、中には幼稚園の先生をスパイとしていた例もあり、子どもたちから親がしていた話を聞き出しては秘密警察によってその両親を逮捕させるという具合であったと言い、さらに逮捕された人間はほとんどが処刑されたという。
エレナは元々は表に立つタイプではなかったが、中国共産党の毛沢東夫妻と親交があり、その妻の江青の「もっと夫人も政治参加すべき」というアドバイスに従って自身も積極的に政治に参加するようになると自らを副大統領とした。その際には学校建設や孤児院の建設などの慈善事業的なことも行ったが、法律によって堕胎の禁止および女性は45歳までに最低5人は子供を作らねばならないなどの悪法(エレナ自体は2人しか産んでいない)を通過させたため所謂ストリートチルドレンが増え、その子供たちは「チャウシェスクの子供たち」と呼ばれるようになる。
そのような悪法でも通ってしまうのが独裁政権の恐ろしいところであるが、悪政により食料は不足したため配給制度が敷かれるも餓死寸前の食料しか国民には与えられない状態にも陥ってしまう。さすがに民衆の怒りは溜まる一方で、ゴルバチョフによるペレストロイカが推進されると民衆の不満は一気に爆発、チャウシスク夫妻は捕えられ、銃殺されてしまう。
ルーマニア新政権によると、チャウシェスク夫妻は国家を窮乏の危機に貶めたにも関わらず自分たちは1000億円にも及ぶ個人資産を形成しており、6万人に及ぶ民衆を処刑し、8万人に及ぶ人々の住居を奪ったあげくに自分たちはまるで宮殿のような豪邸に住んでいたという。
その被害者には有名なコマネチも含まれていて、エレナの息子がコマネチと付き合いたいというと彼女を拉致監禁したという。そのことにより恐怖を感じたコマネチは後にアメリカに亡命している。
非常にコンプレックスの強い女性だったようで、自身はほとんど学校を出ていなかったにも関わらず博士号を多数取得、もちろんと言うべきか論文は全て人に書かせていたという。
第3位:西太后
けた違いの悪女。
本名は慈禧と言い、中国ではこの名で呼ばれることの方が多い。
元々女真族の貴族の生まれであったが、その地位は決して高くなかった。しかし後宮に入り時の皇帝感豊帝の男の子を産むとその地位が一気に上がる。
一説にはこの子供は感豊帝の子ではないとも生まれた子供は実は女子であり後に挿げ替えたともいわれている。このことの真偽は不明だが、西太后ならそれぐらいやりかねないと思わせるほど彼女の権力欲にはすさまじいものがあるのも確かである。
感豊帝はかなり気が弱く、イギリスやフランスが攻め寄せたアロー号戦争に負けると早々に死んでしまう。これに対して西太后の動きは非常に速かった。彼女は先帝のもとで有力だった8人の有力者たちを即座に処刑し、自分の息子を同治帝として即位させてしまったのだ。
そのあまりの疾風迅雷ぶりに感豊帝を殺したのは彼女なのではないかという話もあるほどで、以降西太后は皇帝の母親として権勢をふるうことになる。
彼女の権力への欲はすさまじく、何度もその権力を失いそうになるも不屈の意志によってそれらを撥ね退ける。例えば同治帝が母に反抗して彼女の決めた結婚を相手を拒否すると大激怒、これにショックを受けた同治帝は死んでしまった時もそうで、本来はダイピンチ状態であるにも関わらず彼女の権力は微塵もそがれなかった。
この件に関しても西太后が自分の言うことを聞かなくなった同治帝を暗殺したという説がある。これも、実は同治帝が自分の産んだ子供ではなくすり替えられたのだとしたらあり得る話ではある。
しかし皇帝あっての西太后であるためこの可能性は低く、同治帝は天然痘によって死んだという説が現在最も有力である。それでも西太后なら息子さえ殺しかねないなとは思う。
さて、息子が死ぬと困った西太后は妹と先帝感豊帝の間に生まれた子を光緒帝として即位させ、相変わらず大清帝国を我が物とした。
この間に洋務運動が起こるも最終的にはそれを潰し、自分の誕生日を盛大に祝うために海軍の軍費を流用し、その結果軍艦を配備できなかった清は日本との間の日清戦争に負けてしまうのだが西太后の体制には何の問題もなかった。さらに義和団事件が起こると列強を追い出すチャンスだとこれを支援するものの結局列強にすぐに鎮圧されてしまう。このように対外的には恐ろしく弱かったが、それでも彼女の体制は揺るがなかったのは不思議でさえある。
江青や則天武后ですら晩年は権力の座から滑り落ちたのに西太后に関してはその死まで権力の座に居続けたのだ。
彼女の権力保持能力だけは世界史でも最高ランクにあり、その間に皇帝は4人変わるもそのうち3人は彼女の意向で皇帝に成っているほどである。
そんな彼女も病には勝てずに、光緒帝が亡くなり次代の皇帝に溥儀をたてたところで尽きる。光緒帝がなくなってから西太后が死ぬまで4日しかなく、彼女は溥儀が即位した次の日に死んでいる。次の皇帝を即位させるまで死ねなかったのであろうからある意味恐ろしい権力欲である。
そしてその4年後に孫文、袁世凱などにより辛亥革命が起こり2000年に渡る皇帝の支配が終わる訳であるが、この革命が西太后の死を待って行われたことを考えると、彼女の持つ権力の大きさが知れるというものである。
良くも悪くもその辺の悪女とは比較にならない何かを感じる。
第2位:エジプト最後の女王クレオパトラ
3000年続いたエジプト最後の女王。
彼女の生まれたプトレマイオス王朝は極端な近親婚を行い続けた王家で、クレオパトラ自体弟のプトレマイオス13世と結婚している。極端な近親婚は未熟児と天才児を産むと言われており、彼女は天才の部類であったようで、ギリシャ語、ラテン語、エジプト語など非常に互角に堪能な上に世の漢を虜にするような美貌を持っていったという。
しかし弟王との仲は悪かったようで王家を追放されてしまい、そのタイミングでやってきたローマの英雄カエサルのもとに自らをカーペットにくるんで献上品という形で彼のもとに現れり。
元々女好きのユリウス・カエサルは彼女を気に入り、彼女のためにエジプト軍を追い払うと2人の間にはカエサリオンという名の息子が生まれた。
クレオパトラもまた非常に権力欲の強い女性で、このカエサリオンをローマの皇帝にし、自ら世界の覇権を手にするという野望を持っていた。
やがてカエサルが暗殺されると彼女は船でローマに向かった。目的はカエサリオンをカエサルの後継者に据えるためである。彼には娘が一人いるだけであったがその娘も既に死んでおり、彼には子供がいなかったこともクレオパトラは知っていた。
しかし彼女のそのような期待は見事に裏切られた。当のユリウス・カエサルは後継者にわずか18歳の何の実績もないオクタヴィアヌスという青白い顔をした青年を指名したのだ。
オクタヴィアヌスWHO?
そう思ったのはクレオパトラだけではなかった。長年カエサルの副官として仕え、後継者は自分だと思っていたアントニウスもまたこの人事に不満だった。彼は自分こそがカエサルの後継者だと思っていたのだ。
クレオパトラは思った。オクタヴィアヌスなる若造がどのような人物であろうとも軍事力を持っていない。ならば強大な軍事力をもったアントニウスを味方につければ…
当時アントニウスはオクタヴィアヌスの姉と結婚していたが、クレオパトラに会うや彼女の美しさに完全に魅了されてしまったのだった。
アントニウスはその力をもってシリアやアルメニアを征服するとあろうことか母国ローマではなくクレオパトラのいるエジプトにこれを献上してしまう。しかもその凱旋式をローマではなくエジプトのアレキサンドリアでやったのだからローマ市民の怒りを買った。
これを機と見たオクタヴィアヌスはエジプトの打倒を宣言、クレオパトラに宣戦布告をする。
当初両軍は陸戦で決着をつけるつもりであったがクレオパトラは海戦での決着を望んだ。理由は戦略上のものではなく、船の上からローマの軍団が自らにひれ伏すのを見たかったからだという。多くの将兵がこれに反対するもクレオパトラの虜となったアントニウスはこれに従ってしまう。
エジプトやシリアから得られる圧倒的な資金を元手にローマを圧倒する数の軍艦を建造し、ローマ以上の兵力を動員したクレオパトラは勝ちを確信していた。率いるのはローマ随一の将軍アントニウス、そしてローマを上回る兵力に軍備を用意した。負ける訳がない。
しかし実際に戦いが始まると戦況は不利になった。骨抜きになったアントニウスはクレオパトラの想像以上に弱くなっており、優秀な将軍は皆ローマに寝返ってしまった。その様子を見たクレオパトラはあろうことか戦場から船を返してエジプトに帰ってしった。
それを見たアントニウスもあろうことか指揮権を放棄して戦線離脱、残された将兵はローマに降伏するしかなかったのである。こうしてアクティウム海戦と呼ばれる闘いは終わった。
クレオパトラは用済みとなったアントニウスに自らの死を伝えさせた。もはやアントニウスはクレオパトラがいなければ生きていけない身であることを知っていたのだ。そして読み通りクレオパトラの死を知ったアントニウスは自らの命を絶つのであった。
一方のクレオパトラは新たな覇者となったオクタヴィアヌスに接近。これを魅了しようとするも既に40近くなっていたクレオパトラの色香はオクタヴィアヌスには通用しなかった。
自らの運命を悟ったクレオパトラは毒蛇に自らの胸を噛ませ絶命した。
これにより3000年の歴史を持つエジプトの歴史は終わり、ローマ帝国の領土となる。
世界を望んだ女王はついに全てを失ったのだった。
第1位:世界史上最悪の悪女呂雉
漢の高祖こと劉邦の妻。
これまで見ていただいたように、悪女にも色々なタイプがある。ある人は夫の浮気故に悪女になり、ある人は猟奇的な行いで、ある人は自らの子供を権力の座に就けようと悪女になるのだが、呂雉はこれらの特徴をたった1人で内側に持つ人物である。
彼女の行ったことを簡単にまとめると以下のようになる。
・息子のライバルであった趙王劉如意とその母親である戚夫人を殺害
・夫の寵姫であった戚夫人に対しては両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声を潰し、その後便所に置いて人彘(人豚)と呼ばせ、そのさまを笑い転げながら見ていた
・息子恵帝が死去すると別の人間を皇帝にするも殺害して自分に従順な劉弘を皇帝にした
・劉邦が自分以外の女と作った子供たちを次々に殺害した
・要職に自分の一族をとりたてて外戚政治を行った
・昔自分の命を救ってくれた韓信に処刑命令を出した
今回ランクインした悪女たちの中には、それは誇張表現なんじゃないのかとか、記述的に怪しいとされるものが多数あるし、マタ・ハリやンジンガみたいに意図的に悪く書かれているのではないかという人物もいるが、呂雉に関してはそのようなことはない。
なにせ彼女の悪行は他でもない漢の歴史書に記されているからだ。
通常、歴史書はその王朝が正当性を主張するために作らせることが多いのだが、呂雉に関してはその建国者の皇后であるにも関わらずこの記載内容である。むしろこれでも抑えめに書かれていて実際はもっと酷いんじゃなかろうかという気さえしてくる。
一度滅んだ漢を復活させた光武帝にいたっては呂雉から皇后、皇太后の廟号をはく奪しているほどである。
彼女のあまりにもひどい所業を知った息子の恵帝はそのショックのあまり死んでしまったという逸話も残されている。
呂雉はまさにクイーンオブ悪女の名にふさわしい人物だと言えるだろうと思う。
呂雉がここまでして家族を重要な地位に就けたのだが、彼女が死んでしまうと呂雉の一族はほぼ全員処刑されてしまったという。
クレオパトラもそうなのだけど、自分や自分の家族の安寧を願うあまり結局自滅してしまったのは歴史の皮肉なのだと思う。この辺りは娘可愛さに有能な人物を会社から追い出してしまった某超大手芸能事務所にも通ずるところで、人類普遍の法則なのかも知れない。
ランキングを終えて
書いているうちに「悪女」ってなんだろう?という気になってきていた。
悪女にもいくつか類型があって、
・結婚しているのに複数の男性と関係をもってしまう
・ファムファタールとして男の人生を壊してしまう
・サディストで他人が苦しむ様子を見て楽しむ
・他の女性に対し嫌がらせをしてしまう
・人を殺してしまう
・権力のために他の人間を犠牲にする
・悪政によって人々を苦しめ私腹を肥やす
・一族を要職に就ける
・子供を後継者にするためライヴァルたちを残虐な方法で排除する
といった分類ができると思う。
ある意味持っている権力が大きくなればなるほどその影響力も大きくなって、ランキング上位の3人なんかは兎に角持っていた権力が大きすぎたせいかそこに巻き込まれた人数も半端ないことになっていたし、いくつもの悪女成分のある女性たちであると思う。
そういった意味で猟奇的な殺人者たちよりもランキングが上になってしまった訳だけど、より悪いというよりもより影響力が強かったという感じかも知れない。エリザベス・バートリーなんかはやっていることが恐ろしいけれど悪女というよりも狂人であるし、今回のテーマとは少しずれるかなと思ったのでランキングは低めになった。
バートリーやサルトゥイコヴァのような猟奇的な快楽殺人者たちよりもある意味厄介なのがカトリーヌ・ド・メディシスやブラッディ・メアリーと言った宗教的対立から虐殺を行った確信犯たちで、彼女らはある意味自分で正しいと思っているだけに悪女成分は弱いのかもしれない。
ナチスのユダヤ人虐殺もそうだけど、宗教の違いは時に大量虐殺を引き起こす。実に恐ろしきは宗教という名の狂気かも知れない。
ただ、カトリーヌもメアリーも国家を傾けたとかではなく、その後の国はむしろ富んでおり、則天武后やエカテリーナなど高い政治力をもった人物たちもいた一方で妲己や楊貴妃など国そのものを傾けてしまった傾国の悪女もおり、今回のランキングは実にバラエティに富んでいたなぁと思う。
そして女性を最も悪女たらしめるのは子供への深い愛情であるかも知れないとも思った。
呂雉なんかは元々悪女という訳ではなくて、夫である劉邦が自分の子供以外を次の皇帝にと考えていたために悪女化してしまった感があるし、クレオパトラも子供のカエサリオンがローマの有力者になれなかったことから狂ってしまった気もする。
日本の国民的グループSMAPの解散も元をただせば自分の娘に会社を継がせたいために有能な人物を会社から追い出そうとしたことが原因であったし、あらゆる意味で母の子への愛情というのは厄介なものになってしまう。
愛情とは本来最も素晴らしいものなのに、時と場合によってはどんな鋭利な刃物よりも恐ろしい凶器となってしまうのだな。
てなわけで今回の記事はここまで。良かったら他の記事も読んでみてくれよな!
追記:悪女ではなく世界史で活躍した女性をまとめてみた。現状は全くと言っていいほど読まれていない。